─どうも暫く。 何だか久し振りに小山さんに会って懐かしいから、立話を始めたら、 どうも調子が怪訝しい。はてな?と首をひねった。小山さんが、 ──あの人は、お元気ですか? と云う。当然、あの人、の名前が出て来るものと思って待っているが、出てこない。 小山さんは拳で額をとんとんと叩いて焦れったそうな様子をする。 それから、手を押して東の方角を指すから、 ──清水町先生ですか? と訊くと、そうだと云うことになる。 小山さんは亀井さんと親しくて、亀井さんに世話になったという話を聞いて知っていたが、 その亀井さんの名前も口に出して云えない。たいへん驚いた。 その后、駅前通の珈琲店で小山さんと話したが、話をするのに大変苦労したと思う。 一体、どうしてそんな状態になったのか? 不思議でならなかったが、小山さんは、 ──病気です。 それも遠からず癒る筈だ、と余り心配していないような口吻だったが、 内心はどうだったろう? 買物に行って、肝心の品物の名前が出て来なくて店員が間誤つく、 そんな話をして小山さんは笑ったりしたが、聴いている方はとても笑えない。 珈琲店を出て一緒に駅前の方に来たら、西の空が真赤に燃えていて美しい。 小山さんがそれを指して、別に痞えずに、 ──夕焼だ。 と云ってたいへんうれしそうな顔をした。その顔がいまも眼に浮かぶ。 后になって誰かが、小山さんの病気は失語症と云って難しい、多分、 癒らないのではないか、と云うのを聞いて非常に淋しかった。 言葉に全てを懸けた人間が、その言葉を失ったら、一体どうすればいいのかしらん?
★連翹/小沼丹★
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