「本当に切実な経験というものは、主観的でも客観的でもないですね。 つねられて痛いと感ずる経験と同じです」 小林秀雄はそういっている。 私は経験した。 その切実な経験を人に語ることによって、それを理解したいと思った。 その結果得たものは、当惑や憤慨や嘲笑や、よくて好奇心だった。 「つねられて痛い」と感じたことをつねられたことのない人にわからせようとするのは無理である。 私は沈黙するべきだった。 だが私は沈黙していることが出来ずにこのエッセイを書き出した。 深く考えるためには書く必要があることに私は気がついた。 「考えるということは、対象と私とが、ある親密な関係へ入り込むということなのです。 だから、人間について考えるということは、その人と交わるということなのです。 そうすると、信じるということと、考えるということは、大変近くなって来はしませんか」 小林秀雄のこと言葉が私の背中を押したといえるかもしれない。
★私の遺言/佐藤愛子★
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