ジャズをやるからには服装が第一、という観念がぼくにはあった。 しかしすぐさま新調することも出来ず、ぼくは親父の背広を裏返しに仕立て直したのを着ていた。 だが、シャープ&フラッツだ。 ぼくはアメリカのレコードジャケットを何枚か眺め、 黒人プレーヤーの真似をすることにした。 派手なスカイブルー、だぼっと大きめの肩幅の広い上着、太めのズボン、 それに黒いソフトをあみだにかぶった。 さしずめ、東海林さだお描くところの「ジャーン!!」という勢いで、まずは大学へ。 目を見張る仲間たち、しかしたちまちにして先輩から、 「背広はともかくとして、ソフトはやり過ぎだ」 と叱られた。 当時、ぼくらのバンドの月給は一人八千円から一万二千円。 背広は上下で三万円ナリ、十か月の月賦であつらえたのだった。
★七人のネコとトロンボーン/谷啓★
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