汽車が動きだして、先生の前に腰をかけている私は、(一体、何の商売の人だろう?)と思った。勿論、井伏先生は小説を書いていられるのだが、その外に何か商売を持っていると思うのである。学生の頃は絵描きになろうと考えたときもあったそうである。だが、今は、これからは何の商売になるのか知らん?と考えた。私自身、この一、二年で小説を書くのは止めて、自分のしたい商売、生活は夢にえがいているので、井伏先生もきっと、そんなことをお考えになっていると思うのである。先生の顔をみていると、(僧侶かな?)とも思った。着物の襟のカタチは僧侶のような感じである。腰から下は金持の御隠居さまで、顔は若い顔で美男子だし、何よりステキな品のよさは赤い顔つやである。(一体、何の商売をしたくて生きているのだろう?)と考えた。(草や木を眺めることかな?)と思った。ひょっと(釣だ!)と気がついた。(そうかも知れない、それが人生の、夢かもしれない)とも思った。途端、ボクは、ベートーヴェンが憎らしくなってきた。若い時は好きだったが今は嫌いなのはベートーヴェンのように音楽に思想を盛り込もうとすることは音楽の邪道であると思うからだ。ボクは、音の余韻が嫌いになってしまったのだ。ヴァイオリンのひっぱった響、日本の太鼓の余韻、思わせぶりな気味の悪さを感ずるのだ。やはり、土人の太鼓や日本のでは鼓が好きだ。だからボクはマンボやロカビリーが好きなのだ。小説もそれと同じことで思想などを盛り込むことは邪道だと思う。ジャズにはリズムと迫力のある音があって、それが材料だが、小説にはそれに該当するものは?何だろう?と考えたりする。いつか、そんなボクを満足させるような小説を書きたいものだと思う。井伏先生の小説はロカビリーに似ていると思う。
★買わなければよかったのに日記/深沢七郎★
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