青島 学生のときに結核になって、若いしヒマ人だから、色んなことを考えるわけだ。 どうせ身体は弱いから大した労働はできない。それで、物書きになろうと思ったわけだよ。 家にいて居職で仕事ができるだろう。
高田 物書きのほうを選んだと。
青島 小学校三年生くらいからずーっと本ばっかり読んでたんだ。 それで大学を出る頃には、どうしても物を書いて飯を食うようになりたいと思ってたね。 だけど、どうしていいかわかんない。で、卒業するときになって親父がね、 「お前、大学を出してやったのに、うちでのらりくらりされてんのはかなわねえ。 何かなりてえものあンだろう」って言うから「言えば笑うんじゃないですか」っつったら 「笑わないから言ってみろ」。で、「小説家になりたい」って言ったら、クッと笑うんだよ(笑)。 「笑ったじゃねえか」って。そしたら親父が 「小説家なんて、そらあ売れてくれば、何かの広告の裏へ書いたって、一枚一万円とか、 三万円とかになるんだそうだし、元かかんないで儲かる商売で悪かないが、 それは何万人に一人って才能のある人が、何万人に一人っていうような努力を重ねてそうなるんであって、 おまえにはそれは無理だろうから、もっと堅気のことを考えろ」って言う。 それで、あの頃トリスバーがはやってたんで、「トリスバーってなんか、 水売って儲けてるような気がするんだけど、あれ、やろうかな」って言ったら、 「そうだよ、そういう堅気のこと考えなきゃダメだよ」って(笑)。
◇
青島 いくつになってもさ、五里夢中っていうか暗中模索っていうか、 スタジオに行っても何しても、小生意気な若造だって言われて、それを誇りにも思い、 生き甲斐にもしてたのにさ、いつの間にか、どこへ行っても「最年長の方、どうぞ」 なんて言われちゃう(笑)。
高田 そういう年頃になっちゃいましたよね。
青島 そうだよ、都庁の中でだって、俺、最年長なんだから。
高田 この中でも最年長になっちゃった。
青島 うん。小生意気な最年長っていうのはないからな。
◇
高田 詩を先につくってたんですか?
青島 というか、新しい映画をつくるっていうたびに、音楽担当のデクさん(萩原哲晶)に 「じゃ、今度はこういうのを書きましょう」ってアウトラインだけ書いて渡す。 そうするとデクさんが、A案、B案、C案って、いくつかメロディを作ってくる。 それで、渡辺晋さんの家に持ち寄って、ハナちゃんなんかも来て、 A案とC案のサビを取って、真ん中だけこっちへ生かそうとか何とか、 ワイワイ言いながら大笑いしてるうちにできちゃうんだよね。 それで、一つだけデクさんが作ったのが、 ♪ごまをーすりイまあしょ……って、
高田 『ごますり行進曲』。
青島 あれは、デクさんの発案なんだよ。「だいたい、ごまをするっていうようなことはですね、 男子の本領としてやるべきことではない。ごまをするということは、 これは人との付き合いの潤滑油みたいなもんで、これをなくしては付き合いはあり得ません。 ですから、盛大にごまをするっていう感じの歌を作って下さい(笑)」。 それで、♪ごまをーすりイまあしょ。
高田 あ、スレスレって。
青島 陽気にごまをねっていうんだからさ、びっくりしちゃうよ、たいていの人は。
高田 すごいですよね。
青島 デクさん変な人でね。『無責任一代男』の主題歌は「コツコツやる奴ァ、バーカ」 とか言ってたんだよ。 そしたら晋さんが「バカっていうのは、ちょっとあんまりナマすぎる」って言いだした。 そしたらデクさんが「ごくろうさんっていうのはどうです?」。一発で決まっちゃった。
高田 「コツコツやる奴ァごくろうさん」
青島 「こんなに人をバカにした話はないっていうんでね(笑)」。
◇
高田 作詞はクレージーだけじゃないですもんね。(坂本)九ちゃんとか。
青島 「明日があるさ」とかね。人づてに聞いたんだけど、 談志君が「身ぶるいするようなうまいこと言おう」というフレーズが大好きで、 大ウケにウケてたって。
高田 そうそう、言ってます、言ってます。
★笑うふたり/青島幸男×高田文夫★
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