ちがう電話がかかってくる。
「ウフフ!」笑っているのに実に陰気である。
「何してるの」「洗濯」「私ねェー、朝ごはん食べてから、
そのまんまじいーっと海見ているの。もう四時間よ、天気がいいと滅入るのよね、
子供って何だろうね、母親って何だろうね。ただ産んだだけなのよね、
この年まで、私何もしてないのよ、ウフフフフ」
陰気な声は明るい海辺の町から電話線をはいずってここまでやってくる。
「生きてるって何かしら」
「死ぬまでどうにかこうにかやるってことよ。別にたいしたことしなくてもいいのよ」
「そうかしらねェー、アヤがね、あの子サービスの子だから、
私がボケーッとしてると、やたらはしゃいで私を笑わせようとするの。
笑ってやるんだけどね、ウフフフッ」
「何もしたくないんなら、何もしなくていいじゃない、海見てれば」
私は人格者である。私は云う。
「私あなたが好きよ、あなた勝手で一生懸命で、
あー私あなたのこと好きだなぁって時々、ガバッて思うことあるの。
あなたが生きているから、私も生きてるのうれしいって思うことあるのよ」
相手間違えているわけではない。人格者だから男女の区別などつけない。
「あらそう、ありがとう、うれしいわ・・・ウフフ・・・生きるのって疲れるわ」
「待っててね、おしっこ行って来る」・・・「あーごめん、さっぱりした。それで?」
私は人格者であるから、おしっこを理由に電話を切ったりしないのである。
「待ってて、今、たばこ持って来る」海辺の女も長期戦のかまえである。
私は相手の電話代のことを考える。
仕方がない。生きてるって金がかかることなのだ。
★人格者はウツ病です/佐野洋子★
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