セザンヌの画面の塗り残しは、あれはいろいろ理屈をつけてむつかしく考えられているけれども、
ほんとうは、セザンヌが、そこをどうしたらいかわからなくて、
塗らないままで残しておいたのではないか
セザンヌが凡庸な画家だったら、いい加減に辻褄を合わせて、苦もなくそこを塗り潰してしまっただろう。
凡庸な絵かきというものは、批評家も同じだが、辻褄を合わせることだけに気を取られていて、
辻褄を合わせようとして嘘をつく。
それをしなかった、というよりも出来なかったということが、セザンヌの非凡の最小限の証明
私にとって青山二郎とはなんだったか。
桜井さんたちとちがって、私は青山二郎という人に会ったことがない。
私は湯田中へ来るようになった、その前のあたりが、ジーちゃんが志賀高原へ来た最後だったらしい。
それから二年ほどしてジーちゃんは死んでいる。
私はまた、その人の書いたものをひとつも読んでいない。
それでいて、昔からその人に、ある信仰のようなものを持っている。
ひそかに畏れ、憧れている。
★気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹★
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