風が見えることがある、とも言った。
初めてその経験をしたのは秋田の街を歩いていたときで、向こうから吹いてきて、
あたりまえなら躯に当たると躯をよけて行くはずの空気の流れが、
自分の躯を突き抜けて行くのがはっきり目に見えた。
たぶん、そのときの自分は、世間的な余計なことは何も考えず、
ただ踊りのことだけを考えていたのだ。
瞳孔が開いていたかもしれない。その後、東京でも、調子のいいときは風が見えることがある。
すると、その風に向って歩いて行く足取りがだんだんおそくなり、
躯の動きがスローモーションの画面みたいになって行く。
そして、そういうときに、きまっておまわりにつかまる。
「これ、異常なんでしょうかねぇ」
と彼は私に言った。
「そりゃあ異常なんだろうよ、おまわりが捕まえるんだからな」
みんな笑ったが、私自身は考えこんでしまった。
★気まぐれ美術館 セザンヌの塗り残し/洲之内徹★
■ギリヤーク尼崎という、踊りを踊る人の話。
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