そんな話が、スライドの明かりを消して、蒲団に入ってからも終わらない。
あくる日の路上観察のために眠らなくてはいけない。だけど知恵熱で眼が冴えている。
電気を消した闇の中で、蒲団から蒲団へ、話し声が飛び交う。
どうしてこんなことが面白いのか。この異常なほどの楽しさは何を示しているのか。
路上にあってちょっとズレたもの、ちょっとはみ出したもの、
ちょっと歪んだもの、欠けたもの、見捨てられたもの、そういったもののありさまが、
自分たちの感覚を蘇生させてくれる。固形となった観念を叩き直してくれる。
世の中のまだ誰も知らないところで、大変なことが起きはじめている。
とはいえ相手はただのゴミみたいなものだ。
それを惚れ惚れとして見つめたり、名品だといって感動していたりするのは、
ひょっとして、
「ひょっとして、むかし、歪んだり欠けたりした茶碗をさ、利休たちが”いい”
なんていいだした気持ちと、同じなんじゃないのかな」
という言葉が発せられたのである。
★千利休/赤瀬川原平★
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