ここに住むようになってから「家」のことをしょっちゅう考えているけれど、
ところでアウグスティヌスとかトマス・アクィナスとかスピノザとかが書いた
神の存在証明を読みかじっていると、どれも共通していることに彼らはまず
「神は存在するのだ」という大前提を立ててから、
「神は直接に見たり聴いたりする仕方で感じることはできないのだ」
としてひじょうに抽象的な論議を尽くすことによって神が存在することを証明するという、
とても奇妙な、科学的な論証とかけ離れた論証の仕方をしているのだけど、
それを読む私はなんだか別種のリアリティを感じていて、何と言えばいいのか、
つまり一種興奮している。
引越しした次の朝にこの家の匂いを嗅いで回っていた猫たちの行動や、
はじめて英樹兄が来たときのポッコの態度から、
私はかつての住人がこの家に残した匂いという痕跡を集めるところからはじめるという、
まあ科学的に納得できることを考えているけれど、アウグスティヌス式の論証方法を使えば、
「家にはかつてそこに住んだ人たちの気配がいつまでも残るものなのだ」
という前提をいきなり立ててしまってかまわないのかもしれないなんて思う。
★カンバセイション・ピース/保坂和志★
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