窓の外の手摺りは暗さに紛れていて、そこにいまポッコやミケがいて、
夜風にあたりながら庭の虫の鳴き声や外の猫が立てる物音に耳をすましていたとしても
私には見えなかったけれど、私が空き地を隔てて見ているこのときに
手摺りにポッコがいたとしてもいなかったとしても同じことなのかもしれないという思いが、
強いリアリティを持って生まれてきた。
たとえば一枚の絵に猫が描かれているとき、
その描かれた猫という個別性の向こうに作者が思い浮かべている個別の猫の系統があり、
その絵を見る者にも個別の猫の系統があり、それらは別々のものなのだが、
見る側がその絵に対してある思いを抱くなら、
その描かれた猫は作者と見る側それぞれの個別の猫の系統の一端でなく
普遍性を媒介する機能を担っているはずで、
夜の暗さが窓の手摺りという知覚の直接性を隠しているということは
空間が認識の普遍性に移行したということで、
普遍性が本来持つ相反する二つの事象を共に浮びあがらせているのだから、
ポッコがあそこの手摺りにいることもいないことも同じになる……というようなことなのだが、
このとき私が感じたリアリティを説明するには私の言葉は、
─中略─
弱く、ポッコが手摺りにいるかいないかを同じにできるとしても、
チャーちゃんがいないことまでは救わないようだった。
★カンバセイション・ピース/保坂和志★
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