「どっちが善で、どっちが悪だと思う?」と彼はわたしにきいた。
「小銃か、それとも、われわれが人体と呼んでいる、あのゴムに似た、ブヨブヨふるえる骨の袋か?」
私は小銃が悪で、人体が善だと答えた。
「しかし、この小銃はだれのために設計されたと思う?邪悪な敵から家庭と名誉を守るアメリカ人が使うためだぞ」
と彼は言った。そこでわたしは、どの人体、どの小銃を例にとるかが大きな問題で、
どちらが善になることも、また悪になることもある、といった。
「で、そのことに最終決定をくだすのはだれだ?」
「神様ですか?」
「この地上の話だ」
「わかりません」
「絵かきだ――それと物語作者。これには詩人と劇作家と歴史家も含まれる」と彼はいった。
「彼らが善悪最高裁判官の判事なんだ。いまのおれはその一員だし、おまえもいつかはそうなるかもしれん」
なんという道徳的誇大妄想!
そう、いまになってそのことを考えてみると――やぶにらみの歴史教育が原因で
あれだけおびただしい流血が起こったことからしても、抽象表現派の画家たちのいちばんりっぱな点は、
そんな裁判所に勤めるのを拒否したことにあるかもしれない。
★青ひげ/カート・ヴォネガット★
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