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■ 長襦袢萌え
こないだ初めて自分で見立てたきものを自分のお金で誂えた。
今まで着物の管理はずいぶんと母の世話になっていたし、母のものも全部もらった。
これからは自分の管理下におかねばならん。
もう袖丈一つとったってなんかもうぐちゃぐちゃ状態で、裄丈違えば、この組み合わせで着ようって自分じゃ思ってたって、はみ出ちゃって、もう〜、奥さん、たいへんなんスから。
で、普段着によく着たセルの長襦袢がある。 お針の稽古をしている若い子が、生地代だけで練習用に縫ってくれたんだが、これがひどく虫に食われてしまって、人前でゼッタイ脱がないのならいいけど……。
ほら、ねえ、Mやってっと人前で長襦袢姿になることだって、ないわけじゃない。
むしろ、おおいに、ある。
よそ行き用の正絹の長襦袢は今年の春にこしらえた。 夏物のさらしの襦袢は去年、3枚作ったし、普段着もいるよね。 作ろうかの。
呉服屋の奥さんいはく「セルなんてもうどっこにもありませんよ。ポリエステルはいかがです?」
「はあ、じゃあ、それで……」
生地代だけで、\19,800.
半襟は金茶の無地に刺繍入り、ポリエステル \1,200のを別の店で買って来てつけてもらう。 黙ってると白い正絹で\3,000の半襟がついてしまう。
長襦袢はこれで完璧。
あとは懸案だった袖丈、裄丈を徐々に統一規格にしていく計画の推進。
出来上がってきた長襦袢と今度着る予定のきもの(お直し済み)の入った箱を抱えて実家に行くと、そこにははあはあと肩で息してる親がいた。
はあはあ、はあはあ、杖をつきつき、仏壇に供えるものをえっちらおっちら準備してござった。
もう、毎日まいにち、ほとけさんのことしかアタマにない。
年金のほとんどは、ほとけさんのために使っちまう。
生活費はわたしが出してやらなきゃならん。
ほとけさんがすべてに優先してしまう生活について、わたしは一言も文句を言わない。 まあ、もう少しのことだから。
わたしの収入は低い方ではない。
ばばあ一人の生活の援助くらいは、できる。
だけど、たまには贅沢もしたい。
海外旅行に行くわけじゃなし、ブランドものを買い漁るわけじゃなし、外車にも乗ってないし、衣食住の範囲内での贅沢なら、あり、じゃん。
ばあさんは、わたしにもほとけさんへの供養のための現金を供出させたくってたまらない。 ほとけさんのために使うのでなくして、いったい何に使うんだ。 どんなに贅沢をしたって、そんなところに幸福はない、と母は思っているはず。
着物こしらえる金はあって、なんでほとけさんのための金が出せないんだって、本当はあたしを責めたいのだ。
自分がしているように、爪の先に火をともしてでも、ほとけさんに尽くす生活こそが幸福だとなぜ思えない? 問い詰めたくてたまらないのだ。
そんなこと言われてたまるか。
やだね、それだけは。
文句もいわず、口ごたえ一つせず、やりたいようにやらせてやってるじゃないか。
2002年11月15日(金)
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