2009年03月25日(水) |
小沢 が 「 続投しなければならない 」 理由 |
「 改革は外からでなく、内から生じなければならない。
人が徳を規定することは、できないのだ 」
ジェームズ・ギボンズ ( 19世紀 アメリカ・カトリックの指導者 )
Reform must come from within, not from without. You cannot legislate for virtue.
James Gibbons
法律を遵守することは大事だが、それだけでは十分でない。
世の中には、法律に記されていない重要なことが、たくさん存在する。
たとえば、お年寄りや身体の不自由な人に席を譲るだとか、他人を不快にさせないよう身だしなみを整えるなどということは、法律の範疇にない。
刑法、民法に触れないからといって、倫理や、エチケットや、マナーを疎かにするようでは、人格を疑われても仕方がないだろう。
法秩序を守ること、誠実に生きること、他人に親切にすること、勇気と誇りを持ち困難に立ち向かうこと、どれが欠けても 「 不十分 」 である。
また、要職に就く人の場合は、人格面に落ち度がなくても、職務能力に劣るようでは周囲から認められず、たちまち、その資質を問われることになる。
つまり、誰に恥じることもない生き方を実践し、「 正しい方法で成功する 」 ことが理想であり、その条件が揃ってこそ、人々の模範となり得るのだ。
民主党の 小沢 代表 が記者会見で、「 西松建設 からの巨額献金事件 」 で秘書が起訴されたにもかかわらず、党の代表を続投する意向を示した。
終始、「 贈収賄を示す事実は出ていない 」 と主張し、検察側による捜査に疑惑を抱いている様子だが、「 シロ か、クロ か 」 だけの問題ではない。
仮に、彼の言い分が通り、「 秘書が容疑を認めても、小沢 自身 は、誰が、何のために献金したのか知らない 」 と司法が判断しても、結果は同じだ。
法が無罪を認めても、業界に多大な影響力を持つ 小沢 が、思惑を持って近づいた人間から金品を受け取った事実は、まったく変わらない。
つまり、法に照らして 「 シロ 」 であろうが、なかろうが、党首として倫理上、好ましいことでないのは、もはや、誰の目にも明らかなのである。
過去の言動から推察して、小沢 自身 が 「 首相になりたい 」 という野心を強く抱いているとは考え難く、続投は、選挙を見据えた判断なのだろう。
自分が居座ることで、支持率の低下は免れないが、潔く退陣しても、無傷というわけにはいかないし、新代表の下、党内の結束が乱れる恐れもある。
司法の判断より、有権者の反応を重視して、続投か、降板か、今後の進退については、世論を眺めながら、日和見的に下されることになるはずだ。
彼が、「 政権交代こそが重要な使命 」 だと思い込んでいるかぎり、たとえそれが国民を欺く行為であっても、己の胸中では正当化されてしまう。
そのようにして樹立される新しい政府を、はたして 「 改革 」 と呼べるのか、甚だ疑問ではあるが、すべては有権者が決めればよい。
表舞台に執着しない 小沢 が、潔く退陣しない理由とは、「 自分に代わって指揮の執れる人材 」 が党内にいないと、強く感じている意識に起因する。
現在、後任として最も本命視されている 岡田 には、推挙する党員も少ない代わりに、強く毛嫌いする党員も少なく、無難な立場にいるようだ。
だが、彼は、小泉政権時の 「 郵政解散 」 による選挙で、民主党が大敗を喫した際の 代表 でもあり、選挙戦に弱いという印象が定着している。
個人的には、民主党で唯一、信頼できる 前原 が 代表 を務めるべきだと思うが、いまのところ、彼が指名される可能性は低い。
小沢 の不安も理解できないではないが、誰が代表になっても、今の自民党に勝ち目は無いので、ここは潔く退陣したほうが、「 徳 」 を示せるだろう。
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