2009年02月26日(木) |
受験生へのアドバイス : 浪人だけはするな |
「 人類永遠の課題は、起きている時間をどのように構成するかだ 」
エリック・バーン ( アメリカの精神病理学者 )
The eternal problem of the human being is how to structure his waking hours.
Eric Berne
受験生を持つ親御さんたちから、よく、色々な相談を受ける。
留学させるか否か、大学院に行かせるか否か、どの学校が オススメ か。
親御さんとは親しくても、肝心の 「 受験生 」 がどんな学生なのか知らない場合が多いので、一概に、こうすればよいとは アドバイス し難い。
ただ、一つだけ、共通して言えることは 「 浪人させないほうがよい 」 という点で、これだけは、すべての人に伝えている。
よほど必然的な理由がないかぎり、「 浪人した 」 という経験がプラスに働く可能性は少なく、圧倒的にマイナス面が多いことは間違いない。
現役の実力では三流校にしか入れないので、他人よりも一年長く勉強して、少しでもマシな学校に入れようなんて考えは、捨てたほうがよい。
よい学校に通ったかどうかは、人生を決定する上で大きな意味を持つが、他人より長い 「 助走 」 をとって勝負に挑むのは、敗者の発想である。
どの大学を出たかで、人生の選択に大きな差が出るのも社会の現実だが、過去の学歴によって、すべての人生が決まるわけではない。
自分の人生は、親の教育や、周囲の状況だけに左右されるものではなく、その後の努力によって、自分を磨き、鍛えることで、どうにでもなる。
だから、高校三年生の時点の実力で、入れる大学に通い、卒業後、さらに勉強したければ、そこから留学するなり、大学院に行くなりすればよい。
仕事柄、企業の人材採用を手伝う機会も多いが、優秀な人事担当者なら、どの大学を出たかだけでなく、その人物の 「 浪人歴 」 も、必ず確認する。
もちろん、「 浪人しているから不採用 」 という判断は下さないが、現役との比較をした場合、浪人 ( あるいは留年 ) は、かなり減点対象となる。
高校時代を振り返ると、学業はもとより、スポーツ、趣味、恋愛、仲の良い友達との交遊など、「 その時期にしか出来ないこと 」 が山積していた。
わずか三年で、部活に励み、彼女とデートし、仲間とバンドを組み、バイクを乗り回し、その上、一流大学に合格するというのは、至難の業といえる。
なぜ、面接官が、学生時代の部活経験や、日常生活、趣味などを尋ねるかというと、それで 「 その人物のバランス感覚 」 が窺えるからでもある。
すべてを犠牲にし、勉強だけに没頭して A 大学 へ進んだ者、高校生活を満喫して B 大学 へ進んだ者、無計画に C 大学 へ進んだ者、みな違う。
浪人して大学へ進んだ人の場合は、「 なぜ、人と同じことが、同じ期間内で消化できなかったのか 」 という疑問を持たれるのも、当然の話である。
いまは少し違うかもしれないが、我々の学生時代、大学の運動部において 「 一年 奴隷、二年 平民、三年 将軍、四年 神様 」 という序列が存在した。
私も含め、仲間内に浪人した者が少ないのは、「 大学でも部活を続ける 」 連中が大半で、前述の序列を思えば、浪人できなかった事情もある。
なかには、親も兄弟も 東大生 なので、どうしても 東大 へ行かねばならず、高校在学中から 「 一浪する計画 」 を建て、文学部に受かった者もいる。
しかし、同じ 東大 でも、現役で法学部を卒業後、国家公務員試験上級職 ( 一種 ) に合格、官僚になった別の友人との評価は 「 月とスッポン 」 だ。
どちらが偉いという話ではないが、人間には 「 分相応 」 というものがあり、実力の無さを “ 一年間の延長 ” で無理に補っても、後が続かない。
浪人という経験は、他人からの評価が低いだけでなく、自分自身の中にも、人より時間や経費をかければよいという 「 甘えの感覚 」 を残す。
安倍 政権 のときに、「 再チャレンジ = 就職活動や大学入試などで失敗した人が、何度でも挑戦できる社会 」 という概念を提唱したことがある。
一見、素晴らしい発想とも思えるが、逆の見方をすると、「 なぜ、最初から失敗しないように、真剣にやらないのか 」 という疑問が拭えない。
人生は、「 やり直しのきくこと 」 ばかりではなく、結果が良くても、悪くても、「 一発勝負 」 に臨む集中力が求められる局面も多いはずだ。
正念場で、「 いまは都合が悪いから、来年、勝負しましょう 」 では通らない話が多く、浪人という 「 悪癖 」 を植え付けるのは、子供のためにならない。
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