2009年01月27日(火) |
マスコミ は 朝青龍 を 「 何者 」 にしたいのか |
「 俺くらい偉大になると、謙虚にふるまうのは難しい 」
モハメド・アリ ( プロボクサー )
When you're as great as I am, it's hard to be humble.
Muhammad Ali
こんな台詞を語る時点で、“ 謙虚 ” とは無縁の人物だったことがわかる。
格闘技の世界で王座に君臨する者は、大言壮語も仕事のうちである。
大相撲初場所は、横綱同士の優勝決定戦を制し、3場所連続休場明けの 朝青龍 が、5場所ぶり23回目の優勝を果たし、喜びの賜杯を手にした。
場所前、マスコミの多くは 朝青龍 の復活に懐疑的で、中には 「 引退説 」 まで匂わすようなコメントもあったが、真逆の結果に終わった。
実力はさておき、態度の悪さ、練習の不真面目さなど、彼自身の人間性について揶揄した人々が、優勝した途端に、たちまち豹変する姿は滑稽だ。
たぶん 朝青龍 自身に大きな変化は無かったと思うが、マスコミの論調は、伝統的国技を汚す 「 悪童 」 から、偉大な 「 英雄 」 に一変した。
成果を称えることに異存は無いが、大衆におもねり、世論に流されやすい日本のマスコミを、一連の 朝青龍 報道で、改めて陳腐に感じた。
サッカー や 陸上競技 などと違い、相撲 は 「 スポーツ 」 なのか、あるいは 「 格闘技 」 なのか、「 伝統儀式 」 なのか、人によって見方が分かれる。
スポーツと呼ぶには、競技者が健康的な体格に見えないし、格闘技と呼ぶには、しきたりが多すぎるし、儀式と呼ぶには、大衆的すぎる気がする。
基本的に相撲が嫌いな私としては、「 最強肥満児決定戦 」 ぐらいの感覚でしかないのだが、それは、相撲の面白さを知らないだけかもしれない。
あくまでも想像だが、朝青龍 は相撲を 「 格闘技 」 の一種と捉え、自分は、その頂点に君臨する王者だと認識しているのではないかと思う。
対戦相手を威嚇したり、ふてぶてしい態度で周囲に波風を立てるのも、そう考えると辻褄の合う話に思え、納得できるような気がする。
早くから、朝青龍 の傍若無人ぶりは有名だったが、マスコミが彼を痛烈に批判し始めたのは、一昨年の七月からだったと記憶している。
夏巡業を 「 膝の故障 」 との診断書を提出して休んだが、静養先の故郷、モンゴルで親善サッカーの試合に出場し、ピッチを軽やかに走り回った。
その姿はテレビカメラに収められ、日本のニュース番組、ワイドショーなどで、ご存知の通り、繰り返し何度も放映されたのである。
当然のことながら、「 本業は病欠しておきながら 」 という批判が集中して、相撲協会は 朝青龍 に対し 「 二場所出場停止と謹慎 」 の処分を下した。
その後、マスコミの取材に憮然とした表情で接し、不機嫌さを隠そうともしなかったこと、謝罪会見を開かなかったことで、さらに印象は悪くなった。
状況が一変したのは、精神科医の 本田 医師 なる人物が現れ、朝青龍 は 「 神経衰弱状態にあり、うつ病に移行することもありうる 」 と話してからだ。
それまで 「 横綱としての責任感、自覚が足りない 」 といったコメントを発し続けてきたマスコミが、手の平を返したように、同情的な発言に変わる。
相変わらず批判的な意見もあったはずだが、意図的に 「 可哀想 」 とか、「 病気に負けるな 」 といったコメントを、各局が大量に流し始めた。
これは、朝青龍 のみならず、昨今の 「 精神病患者への批判を許さない 」 という、行き過ぎた世間の風潮に、マスコミが押し切られた所為である。
か弱い少女ならまだしも、土俵上で闘う巨漢の横綱が 「 ちょっぴり叱られたぐらいで “ うつ病 ” なんて変だ 」 と、誰も思ったが、言えなかったのだ。
その後、病気が治ったのか、もともと病気でなかったのか、彼への批判が収束したので回復したのか不明だが、朝青龍 は精神科へ通わなくなった。
復帰はしたが、彼の謹慎中に頭角を現した 白鵬 の勢いに押され、もはや勝てないとみるや、今度は 「 辞めろ 」 と言わんばかりの引退説が流れる。
すべて、明らかにマスコミの情報操作によるものだが、予想外に 朝青龍 が活躍し、連勝したことで、久々に相撲中継の視聴率は跳ね上がった。
二転三転、今度は 「 勝ち馬に乗り遅れるな 」 とばかりに、マスコミ各社は 朝青龍 を声援し、優勝が決まるや、たちまち “ 英雄扱い ” である。
マスコミ と 朝青龍、どちらがどちらを翻弄したのか、その判断は微妙だが、節操の無さでは、マスコミ に 「 軍配 」 が上がるだろう。
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