Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年11月26日(水) 今回は ヤバイ 「 麻生 失言 」



「 人は、少なくとも毎日一つの歌を聴き、一つの優れた詩を読み、

  一枚の優れた絵を鑑賞し、できれば、数語の理性的な言葉を

  語るべきである 」

           ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ( ドイツの作家 )

One ought, every day at least, to hear a little song, read a good poem, see a fine picture, and, if it were possible, to speak a few reasonable words.

                      Johann Wolfgang von Goethe



車の運転中に、予期せぬ場所で、交通渋滞に巻き込まれることがある。

しばらく進むと、故障車が立ち往生しており、その先の道路は空いている。


運転に自信のある人の多くは、その様子を眺めて 「 ドジな奴だ 」 と蔑み、特に急いでいる場合には、「 俺の時間を返せ 」 と毒づいたりもする。

みんなが自分ぐらいの運転技術と、メンテナンスの能力、要領の良さなどを持ち合わせていたなら、もっと、道路事情は円滑に流れるはずだと嘆く。

いつの日か、自分自身が “ ドジな奴 ” の立場に陥る可能性もあるけれど、それを責めず、暖かく見守ってやろうという心境には、意外となり難い。

医療とか福祉も、それに似た部分があり、健康な人、裕福な人にとっては、国や自治体の 「 世話 」 になっている人の窮状が、理解し難いものだ。

費用の大半が税金から捻出されていることで、「 何で私が払うんだ 」 という気持ちになることも、心が荒んだときなど、あるいは考えられるだろう。


麻生 首相 は、社会保障費抑制に関し、「 何もせぬ人の分 ( 医療費 ) を、何で私が払うんだ 」 と発言したことについて、首相官邸で陳謝した。

発言の意図については、「 ふしだらな生活をせず、病気の予防を心がけることで、医療費全体を抑制できる 」 と伝えたかった趣旨を語り、釈明した。

私は、重箱の隅を突くような真似が嫌いなので、多少の暴言、放言は看過するタイプだが、この発言だけは、どうも 「 大問題 」 のように思う。

どのような趣旨があろうとも、一国の宰相が 「 何で私が払うんだ 」 などと、福祉そのものの仕組みを否定した発言をすることは、断じて許されない。

一般大衆が居酒屋で語っても 「 ドン引き 」 な “ 上から目線 ” の理論を、堂々と公の場で発言したことで、ますます、有権者の支持は離れそうだ。


努力した人、結果を出した人が報われる 「 成果主義 」 という社会制度は、公正で、自由度が高く、生産性に優れた利点を備えている。

だが、勝者があれば、敗者も存在するわけで、「 勝者しか生きられない 」 という リスキー な世の中を、国民が望んでいるかといえば疑問である。

理想的な近代国家は、努力や実績によって所得の差はあっても、すべての国民が 「 人間らしい生活 」 を、まんべんなく享受できることが肝要だ。

いまは何不自由なく暮らしていても、ある日突然に、健康や財産を喪失する危険もあるのだから、そのための 「 保険 」 としても、福祉は必要だろう。

また、いざとなれば 「 救済策 」 もあるという安心感が、日常生活の精神的苦痛を和らげ、健康で豊かな暮らしを実現できる背景にも繋がっている。


ただ、最近の悪しき傾向として、「 福祉を食い物にする輩 」 や、最低限の責任や努力を放棄し、自ら 「 弱者に甘んじる輩 」 が多いことも現実だ。

必死で病魔と闘ったり、貧困に耐える 「 本当に苦しんでいる人々 」 がいる一方で、可能な努力すら行わない 「 依存心の塊 」 のような人もいる。

救済の対象とされている 「 弱者 」 の基準も曖昧で、大金持ちであっても、老人というだけで、医療費が減免されるような矛盾が改善されていない。

個人主義、自己責任と、冷たくあしらわれる種類の病人もいれば、うつ病と言えば何でも許されたりする、歪んだ 「 社会の偏重 」 にも問題が多い。

好意に解釈すると、麻生 発言 の真意は 「 そういった部分の指摘 」 だったのかもしれないが、ゲーテ の言う 「 理性的な言葉 」 を選ぶべきだった。






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