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2008年11月20日(木) 首相の国語力が、それほど大問題なのか



「 人間は、その答えではなく、問いによって判断すべきだ 」

                   ヴォルテール ( フランスの哲学者、作家 )

Judge a man by his questions rather than his answers.

                                       Voltaire



いわゆる 「 頭の良い人間 」 とは、どういう人を指すのだろうか。

単純な質問だが、なかなか、誰もが納得する定義は示し難いと思う。


一般的には、知識が豊富だったり、記憶力にすぐれていたり、頭の回転が速い人物などに接したとき、「 頭が良いなぁ 」 と感じる人が多いようだ。

あるいは、東大出身者と聞くと、非常に優秀で頭脳明晰だと思う人もいて、学歴や、肩書きから受ける印象というものも、少なからずあるだろう。

たしかに、それなりの素養を備え、ある程度の時間、勉学に励まないと東大には入れないわけで、実際、東大出身者に優秀な人は多い。

しかし、その一方では、東大出身者の中にも 「 人間的に何かが足りない 」 とか、視野が狭く、考え方が偏狭な “ 非常識 ” と呼ばれる人物もいる。

学者の多くには、特定の分野にだけ精通して、他のことは何も知らないし、まるで無関心な人物もいるが、それは 「 頭が良い 」 と認められるのか。


評論家の 福田 和也 は、頭の良さについて 「 何が肝心かがわかること 」 と述べ、それがわからないのが 「 幼稚な人間 」 だと付け加えている。

物事の優先順位がわからず、いくら偉そうに知識をひけらかしたところで、そんな人物は 「 幼稚な人間 」 にすぎぬという意見は、的を得た正論だ。

人命は何より尊いと知りながら自殺を図る人間や、仕事をサボって趣味や賭け事に興じる人間などは、まさに 「 幼稚な人間 」 と言わざるを得ない。

自分にとって、組織にとって 「 いま何が肝心なのか 」 がわからず、どうでもいいことに精を出すのは、よほどの バカ か、単なる責任逃避でしかない。

やるべきこと、やりたいことは数々あるだろうが、優先順位を鑑み、自分のやるべきこと、自分にしかできないことを粛々と行うのが、真の知性である。


最近、マスコミ各社が 麻生 首相 による 「 漢字の読み違え 」 の多いことを面白おかしく報道し、その影響から、ネットでも “ バッシング ” が盛んだ。

一国の宰相が 「 国語力が低い 」 というのは、好ましくないようにも思うが、そんなことで重箱の隅を突いたりするのは、少し次元が低いだろう。

彼の、政治家、指導者としての力量と、国語力では 「 どちらが肝心か 」 という本質から、ずいぶん外れたところで騒いでいる印象が強い。

もちろん、知識や教養も疎かにはできないが、現在、景気対策などの内政においても、外交においても、様々な問題が山積している。

まさか、首相には 「 政治的手腕よりも、国語能力が重要だ 」 と考える人は少ないはずなので、子供じみた話題で沸くのは終わりにしてもらいたい。


私の父親は、私と兄に 『 文武両道 』 を実践するように命じ、勉強も大事だが、何か一つ、スポーツに打ち込むことを要求した。

学生時代の我々は、『 文武両道 』 の 「 文 」 は勉強のこと、すなわち頭を鍛えることで、「 武 」 はスポーツを通じ、体を鍛えることだと思っていた。

いまも 「 文 」 については、知性を研磨することだと解釈しているが、「 武 」 については、けして身体を練磨するだけの意味ではなかったと感じている。

本当に父が習得させたかった 「 武 」 とは、スポーツや武道に精進することで、肉体よりも 「 精神の鍛錬 」 を目的としていたように思うのだ。

首相が漢字を読み違え、こぞって嘲笑する最近の風潮は、日本人特有の 『 文武両道 』 という美学から 「 武 」 が欠落した感もあり、なんとも虚しい。






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