2008年09月28日(日) |
阪神タイガース と決別した日のこと |
「 誰の人生にも、ここぞという時がある。 私には随分たくさんあった 」
ケーシー・ステンゲル ( 大リーグの監督 )
There comes a time in every man's life and I've had many of them.
Casey Stengel
今年の セ・リーグ は、終盤まで緊迫した戦いが続いている。
前半戦、圧倒的な差をつけた阪神に、巨人が猛追する展開となった。
昭和48年10月、セ・リーグ 優勝の行方は、9連覇を狙う巨人と、9年ぶりの優勝を目論む阪神が、直接対決するシーズン最終戦に持ち込まれた。
この 「 勝ったほうが優勝 」 という大一番は、試合前の盛り上がりを裏切るように、巨人が 9−0 の圧倒的大差で、あっけなく快勝した。
試合終了と同時に、阪神優勝の夢破れた一部の悪質なファンがグラウンドへなだれ込み、王 貞治 を殴るなどの暴挙に及び、醜い幕切れだった。
巨人ナインは、グラウンドの状態が沈静化するのを待ち 川上 哲治 監督 を胴上げする予定だったが、状況を察してか、さっさとバスで逃げ帰った。
この日 ( 昭和48年10月22日 ) は、奇しくも イチロー の誕生日でもあり、中学2年生の私が 「 阪神タイガース に愛想が尽きた日 」 でもあった。
最終戦の二日前、阪神は10月20日の中日戦で、勝つか、引き分ければ、優勝が決まるという位置にあった。
当時の阪神には 「 ドラゴンズ・キラー 」 と呼ばれた 上田 二朗 という投手がいて、この年も中日戦には 8勝1敗 の好成績を収めていた。
誰もが 上田 の登板を予想したが、なぜか先発は、中日球場で過去二年間も勝ち星が無く、極端に相性の悪い 江夏 豊 だった。
後日談によると、当時、阪神を率いていた 金田 正泰 監督 が、優勝決定の濃厚な中日戦で、エース 江夏 を “ 胴上げ投手 ” にしたかったらしい。
中日の先発は 「 巨人嫌い 」 で有名な 星野 仙一 だったが、優勝を目前にしたプレッシャーで固くなった阪神打線は、ことごとく凡打の山を築いた。
結果、阪神は 2−4 で逆転負けを喫し、6回で降板を命じられた 江夏 があからさまな不満をぶつけ、チームの雰囲気は “ 最悪 ” のものとなった。
この試合が行われている最中に、巨人勢は新幹線の車中にいて、当時は新幹線から中日球場のスコアボードが見えたので、阪神の負けを知った。
この年の阪神と中日の勢いからみて、名古屋で阪神の優勝が決まるものと思っていた巨人ナインは、予想外の結果に色めきたったという。
中心選手の 長嶋 茂雄 は 11日の阪神戦で右手薬指を骨折し、最終戦の欠場が決まっていたが、他の選手は 「 V9 」 への意欲をたぎらせた。
一方の阪神勢は、中日戦の敗因に伴う 「 首脳陣批判 」 と、プレッシャーの重さから冷静さを失い、最終戦を前にして、精神面で大差がついていた。
今年の巨人と阪神の戦いぶりをみると、昭和48年の記憶が悪夢のように甦り、どうしても 「 阪神が勝つ気がしない 」 のである。
それは、トラウマ ( 心的外傷 ) というほどのものではないが、声のかぎりに応援し、屈辱的な大敗を目のあたりにした少年時代の記憶に起因する。
当時、まだ生まれていなかっただろう若い阪神ファンが、一片の疑いも無く “ 優勝 ” を信じ、居酒屋で騒いでいる姿も、どこか物悲しく感じてしまう。
いまは、阪神の優勝に執心していないが、地元経済の活性化に繋がるし、周囲には阪神ファンが多いので、彼らのためにも頑張って欲しいと思う。
裏切られても、裏切られても応援するのが 「 本当のファン 」 と言う人もいるけれど、最近は、肩の力を抜いて眺めるほうが、性に合っている気がする。
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