2008年09月26日(金) |
国交相 発言 : 日教組は 癌 = 「 失言 」 か 「 正論 」 か |
「 学問は、結局、世のため人のためでなくてはならない 」
柳田 國男 ( 民俗学者 )
Learning, after all, must serve the world and the people.
Kunio Yanagita
仕事の良し悪しは、もたらされた 「 結果 」 で判断される。
民間企業であれば、それは当たり前の話だろう。
就任したばかりの 中山 成彬 国土交通相 が、自らの発した 「 問題発言 」 の責任を負う形で、早くも辞任の意向を示しているという。
問題視されている発言は三つで、成田空港建設反対闘争を 「 ごね得 」 と評した件、「 日本は非常に内向きな単一民族 」 と述べた件は謝罪した。
前者については、千葉県、成田市や関係団体から批判が殺到し、後者は、アイヌ民族の人たちでつくる 「 北海道ウタリ協会 」 から抗議を受けた。
ただし、もう一つの 「 日教組 ( 日本教職員組合 ) は日本の 癌 ( がん ) 」 と話した件については、その批判を撤回しない考えを示している。
野党議員のみならず、身内の自民党議員、連立を組む公明党議員からも、これらの発言を 「 不適切 」 とする声が挙がり、本人も辞任を了承した。
中山 成彬 議員 は、旧大蔵省の出身で、世界銀行に出向した経験を持ち、彼の妻は、入省同期の 中山 恭子 (前)拉致問題担当相 である。
鹿児島 ラ・サール高校、東京大学 法学部、大蔵省 と進んだ 「 エリート 」 だが、空手 六段 の腕前を持つ、まさに 「 文武両道 」 の好漢だ。
歴史認識問題に一家言を持ち、伝統文化の尊重を訴える自民党文教族の 「 保守派論客 」 として知られ、小泉内閣では 文科相 も務めている。
2007年1月の 宮崎県知事選挙 では、自民、公明の推薦する候補ではなく、民主、社民の推す候補者を応援し、自己の信念に固執する姿をみせた。
麻生 内閣 にとっては、解散総選挙を前にした大事な局面での 「 失態 」 となったが、自党の利益より信念を重んじる 中山 氏 らしい発言ともいえる。
今回の 「 失言 」 で何が問題かというと、たとえば、成田空港の問題では、既に国が認め、謝罪している事柄を、覆すような発言であることだ。
単一民族発言も、歴史認識上の観点から、アイヌ民族を先住民族と認め、彼らの権利回復や地位向上を目指す国家政策を無視したものである。
そして、日教組が国民教育の 「 癌 」 になっているという指摘についても、科学的に関連づけることができないため、事実無根ということになる。
公人である以上、根拠の無い持論を振りかざす暴挙は避けるべきであり、最悪の場合は、「 罷免 」 されても文句の言えない状況に陥る。
また、日教組が 「 民主党の支持母体 」 であることは公然の事実なので、彼らを巡る批判には、激しく抗議することが最初から予測されていた。
中山 氏 が、大分県の教員採用汚職事件に絡め 「 日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になるから、県の学力は低い 」 と話したのは問題だ。
全国学力テストの結果などをみても、そうした論拠を裏付ける事実はなく、日教組の腐敗や汚職の実態と、教育レベルの因果関係は証明できない。
ただ、では 「 日教組には何の問題もないのか 」 となると話は別で、今回の 「 失言 」 が無くても、多くの国民は同じことを考えているだろう。
つまり、「 日本の教育の “ 癌 ” である日教組をぶっ壊せ 」 という発想は、一般国民にとっては 「 ごく ノーマル な意見 」 でもあるのだ。
だから、大臣の辞任は仕方ないが、その発言に対して日教組の幹部らが、堂々と 「 開いた口が塞がらない 」 などと反論するのは、どうかと思う。
教育制度の成果というものは、短時間で結果が出るものではなく、数年後、数十年後の歳月を経て、評価されるものであろう。
昔に比べて、日本人は頭が良くなったのか、子供の躾は出来ているのか、社会秩序は安定してきたのか、それが 「 結果 」 として判断される。
冒頭の名言が示す通り、学問は 「 世のため、人のため 」 に貢献でき得る人材を育成するための手段であり、社会の進歩、安定と無縁ではない。
どの調査結果をみても、残念ながら、大部分の人が 「 悪くなっている 」 と感じている社会情勢で、その責任は、当然、教育現場にも問われるだろう。
自民党にとっては危機を招く 「 失言 」 だが、改めて、日教組の是非を問う機会となった 「 正論 」 が、国民に警鐘を鳴らす効果はあったと感じる。
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