2008年09月17日(水) |
なぜ AIG は救済し、リーマン は見捨てられたのか |
「 神は私に、成功を収めることではなく、真心をつくすよう命じた 」
マザー・テレサ ( ローマカトリック尼僧 )
God has not called me to be successful ; he has called me to be faithful.
Mother Teresa
けして信心深い人間ではないが、この 「 教訓 」 には大いに賛同する。
後味の悪い成功をするよりは、信念を貫いて失敗するほうがよい。
アメリカの連邦準備制度理事会 ( FRB ) は、経営不振の米保険最大手 「 アメリカン・インターナショナル・グループ ( AIG ) 」 を救済した。
今週の月曜、「 リーマンブラザーズ 」 に “ 引導 ” を渡したアメリカ政府が、AIG の経営危機にどう対応するか、この問題は世界中が注目していた。
FRB は 「 AIG の破綻は金融市場の不安定さを一段と増幅させる 」 とし、同社資産を担保に、最大 850億ドル ( 約 9兆円 ) の融資を決めたのだ。
融資の見返りに アメリカ政府は、同社株式の 79.9% の取得権を獲得し、今後、AIG は実質上、政府管理の下で再建を図る。
先の 「 連邦住宅抵当金庫 ( ファニーメイ ) 」、「 連邦住宅貸付抵当公社 ( フレディマック ) 」 に続き、同じく政府管理下に置かれた形である。
規模の違い、業種の違いがあるとはいえ、AIG は救済し、リーマン は潰したことで、FRB の対応における “ 一貫性 ” が疑問視されている。
おそらく、誰もが納得する明快な基準は、永遠に語られることがないだろうし、そもそも、そんな基準が存在するのかどうか、怪しいところだ。
FRB の資力を以ってすれば、両者とも救済するだけの “ 資金調達 ” が、さほど困難だったとは思えないし、最後まで、その可能性は十分にあった。
日本でも 「 バブル崩壊 」 の後、不良債権処理が遅れた挙句、三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行が連続破綻し、深刻な金融危機に陥った。
当時の日本政府は、それから 「 大手銀行の経営安定化 」 を目的として、無軌道に公的資金の注入を行ったが、世論の強い批判を浴びた。
銀行も、証券会社も、保険会社も、一つの 「 個別企業 」 に過ぎず、彼らは自由な経済活動を行い、成果が挙がれば身内で利益を甘受する。
もちろん、納税の義務はあるが、自分たちが儲かったからといって、経営の思わしくない企業に対し、利潤を 「 おすそわけ 」 したりはしない。
ところが、荒稼ぎを狙い危険な賭けをした結果、経営破綻の危機が迫ると、政府に公的資金の注入を迫り、当時の日本政府は、それに応じたのだ。
地道に商売をしている中小、零細の企業が、金融屋の 「 間違った舵取り 」 の結果、無残に潰れても、国は救いの手など差し伸べない。
この矛盾した非公正な対応は、「 too big to fail ( 大きすぎて潰せない ) 」 という言葉で片付けられ、社会倫理、商道徳は闇に葬られたのである。
金融市場の混乱を避けるために、「 アメリカは公的資金を投入すべきだ 」 と安易に語る人もいるが、はたして、それは正しい選択なのか。
たしかに、そうすることでマクロ経済は安定し、金融市場は沈静化するが、いわゆる 「 too big to fail 」 が常習化することで、別の問題も起きる。
つまり、「 潰れるべき企業が市場から退場せず、いつまでも無能な経営を繰り返す 」 ことで、ますます損失が拡大するという恐れだ。
実際、日本国民が多額の血税を注いだ大手銀行や、再生企業の大半は、抱えていた問題を先送りしただけで、抜本的な改革が進んでいない。
結局は、「 馬鹿にお金を渡しても、また、馬鹿な出費しかしない 」 わけで、そういう輩を市場から追放してこそ、初めて金融不安は解消するのだ。
FRB が 「 リーマンブラザーズ 」 を見捨てたのは、日本を反面教師として、どこかに “ みせしめ ” を設ける必要を感じたからという説がある。
たとえ大企業であっても、欲にくらみ無謀な賭けをしたり、放漫経営をすると 「 痛い目に遭わせる 」 という前例が、彼らには必要だったのではないか。
あるいは、“ みせしめ ” というよりも 「 いけにえ = sacrifice 」 という見方のほうが正しいかもしれないが、いづれにせよ、何らかの秩序は必要だ。
真の 「 仕事 」 とは、真心をつくして働き続け、社会に貢献することであり、私利を追求するだけの、金融屋が得意とする マネー・ゲーム ではない。
日本の銀行も、サブプライムローン に関して アメリカ に文句を言う前に、それを利用して “ 荒稼ぎ ” しようとした犯人を、まず処分すべきだろう。
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