| 2007年09月19日(水) |
少年が暴力に立ち向かわず自殺する原因 |
「 死ぬことがたやすい者は、決して哀れとは言えない 」
ルキウス・アンナエウス・セネカ ( 古代ローマの政治家、詩人 )
Never is he wretched for whom to die is easy.
Lucius Annaeus Seneca
自殺ほど無責任な行為は、他に例をみないだろう。
残された遺族には、死という救いすらないのである。
唯一、「 不治の病 」 で余命いくばくもない病人に対しては、自殺というよりも 「 安楽死 」 という救いが、場合によっては認められるべきと思う。
それ以外、特に 「 肉体的には健康 」 な御仁が、なんらかの苦痛や困難を避けたいという理由から死を選ぶことなど、あってはならない。
実際には 「 自殺者の9割は、正常な精神状態にない 」 という統計結果が出ているので、正論で呼びかけても彼らの耳には届かず、防止は困難だ。
わずかな防止策は、世論が自殺に対して 「 悪いこと 」 という認識を高め、けして美化したり、同情を寄せず、凛とした態度を示すことだろう。
もちろん、憐憫を感じる事情もあるだろうが、周囲の無念や迷惑を思えば、「 死ぬことがたやすい者は、決して哀れとは言えない 」 のである。
神戸市須磨区の私立高校で、同校3年の男子生徒が、同級生の少年から恐喝や嫌がらせを受け、校舎から飛び降りて自殺した。
もちろん、自殺に追い込んだ連中が悪いことは間違いないけれど、広く世間に目を移すと、世の中に 「 悪い奴 」 なんてのは星の数ほどいる。
もし、「 悪い奴に脅された = 自殺しても仕方がない 」 なんて公式に従って生きるのなら、卒業後も、いたるところに死の危険が付きまとうだろう。
悪い奴らに出会ったら、そこで 「 自分の人生は終わり 」 なんて考えずに、立ち向かうか、さもなければ、その場を離れるなどの解決方法がある。
あるいは、小学生なら見方も違うが、高校3年生にもなって 「 自殺 」 しか手段が思いつかないようでは、同情よりも、憤りのほうがこみ上げる。
まったく関連の無い事件だが、東京都墨田区で、万引きをした男性を店員2名が取り押さえ、意識不明の後、死亡させてしまう事件が発生した。
万引きをした男性は29歳で、店内で暴れたところを35歳、36歳の両店員が取り押さえ、その際に暴行が加えられたようである。
警視庁本所署は、傷害容疑で2名の店員を逮捕し、司法解剖で暴行死が特定されれば、容疑を傷害致死に切り替える意向だという。
その場にいないため、何とも言えないけれど、この店員たちは、「 犯罪者に立ち向かった 」 ことで、逆に、自分たちが加害者になってしまったのだ。
それも、万引き犯が死んだから問題視されているだけで、仮に、わずかな傷を負わせた程度で捕まえていたら、「 お手柄 」 と称えられただろう。
老人や幼児ならともかく、29歳の男性が暴れているのを制圧しようとしたら、捕らえる側にも相応の リスク があり、それなりに危険が伴う。
警察が駆けつける前に逃亡を図る可能性も大きく、一人が通報しに行くと仮定すれば、しばらくの間、一人で動きを封じ込めねばならない。
こういう事態で、犯人を傷つけず、自分も怪我をしないためには、かなりの体格差がないと、まず難しいだろう。
実は、私も若い頃に、酔って女性に乱暴をはたらいた中年男性を捕らえ、警察に突き出した経験があるが、そう簡単な作業ではない。
酩酊し、暴れる人間には説得など通じないし、相手の方が大柄だったので、大人しくさせるためには 「 相応の暴力 」 を加える必要があった。
飲食店の店内で 「 証人 」 も多かったし、犯人も死んではいないから、警察から私に対しては何のお咎めもなかったが、感謝状もなかった。
現行犯に対しては、民間人にも逮捕権があることを知っていたので、もっと喜ばれるかと思ったが、意外と、警察官の態度は冷ややかだった。
犯人に暴行を加えたことは咎められなかったが、「 そんな無茶して、怪我しても知らんよ 」 てな具合で、素人は手を出すなという口調である。
一般市民を無事に守る 「 親心 」 と解釈したが、論語の 「 義を見て為ざるは勇無きなり 」 なんて価値観は、まるで無視されたような格好だ。
被害者にも、加害者にもならず、傍観者でいろという 「 憲法9条 」 の理念は、日本の隅々に行き渡っているのか、「 ことなかれ主義 」 である。
相手が悪人なら何をしてもよいとは言わないが、悪事を放置したり、無策に犯人が逃走するのを見過ごすだけが市民の務めではない。
逆に、結果がどうあれ、正義を履行するための行為だと認められるならば、多少、過剰防衛とみられる節があっても、厳正に罰するのは考え物だろう。
学校には、自殺した少年と加害者だけでなく、多くの傍観者がいたはずで、彼らが行動を起こさなかったことが、少年の勇気を奪った可能性もある。
昔も今も法律上は変わりないが、たとえそれが暴力でも、「 悪い奴は、ぶん殴ってよい 」 というのが、我々世代の 「 暗黙の了解 」 だった。
平和主義、平和憲法、たしかに聞こえは良いが、自分が暴力に苦しめられているとき、周囲が理屈ばっかりで何もしてくれない社会でよいのだろうか。
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