| 2007年09月04日(火) |
朝青龍 の正しい処し方 |
「 私の成功のもとはこれだ。
決して弁解したり、弁解を受け入れたりしなかったこと 」
フローレンス・ナイチンゲール ( イギリスの看護婦 )
I contribute my success to this : I never gave or took an excuse.
Florence Nightingale
これは、部下を管理する上で極めて重要な 「 定石 」 といえるだろう。
事情を聴いてやるのはよいが、弁解そのものを受け入れてはならない。
アメリカでは、生徒が宿題をやってこなかったときの言い訳として、古典的だが、いまだによく使われている言い回しがある。
それは、「 The dog ate my homework. ( 犬が宿題を食べてしまった ) 」 というもので、粋な教師は嘘と知りつつ、生徒の 「 演技力 」 を審査する。
フィリピンの イメルダ・マルコス 大統領夫人は、マラカニアン宮殿に政変で追い詰められ、自分の靴が3000足以上もあるという贅沢が露呈した。
彼女は、「 Everybody kept their shoes there. The maids … everybody. ( 皆がそこに靴を置いていたのです。メイドやら…皆が ) 」 と弁解した。
そんな言い訳が認められるはずもないが、あまりの大嘘に、クーデター軍を率いた隊長も、これには笑ってしまったという逸話が残っている。
勤め人をしていた頃の話だが、私が聞いた言い訳の中で、最高に 「 傑作 」 だったのは、始業に遅刻してきた女子社員の放った一言である。
彼女は定時に起床し、普段のように支度を整えたのだが、いざ出発しようとしたら、玄関に 「 落武者の霊 」 が立ち、行く手を阻んだという。
ここで、先入観を持ってはいけないのかもしれないが、日頃から 「 隙あらば上司を笑わせてやろう 」 と腐心する女性で、しかも 「 半笑い 」 である。
それは仕方ないなと許す フリ をし、「 除霊 」 と称して相応の罰を加えたうえで、二度と同じ手を使わぬように、釘をさしておいた。
この程度の言い訳なら可愛げもあるが、仮病を使う人や、自らのミスを叱責され窮地に立つと 「 本当に病気になる人 」 は、ちょっと始末におえない。
過去においても、横綱 朝青龍 には不謹慎な言動が目立ち、2003年には、反則負けとなった取組み相手 朝鷲山 の車のドアミラーを破壊している。
その3日後、同じく 朝鷲山 と支度部屋で小競り合いを起こし、同年末は、師匠に無断でモンゴルへ帰国し、先代 高砂親方 の葬儀を欠席した。
昨年夏には、右肘を痛めて途中休場しつつ、7日目にモンゴル巡業実現のため支度部屋で署名活動を行い、北の湖理事長 から厳重注意を受けた。
今年の春場所では、稀勢の里 を投げた後にひざを押し当て、夏場所では、安美錦 に負けた腹いせに花道で座布団をけ飛ばし、実にマナーも悪い。
最近、怪我を理由としてモンゴルに帰り、サッカーに興じていたことが発覚し、厳しい謹慎処分を受けた背景には、このような経緯もあるのだ。
近年、どうも巷には 「 精神病という免罪符 」 が罷り通っているようで、当然の如く罰を受けたにもかかわらず、朝青龍 に同情的な意見も多い。
処分を受けた当初は、大半が 「 横綱らしからぬ行為 」 として裁定を支持したが、精神科医の診断が下された途端に、妙な擁護論が浮上してきた。
病人に憐憫を示すこと自体は問題ないが、真面目に闘病する人たちがいる一方で、不謹慎な輩を免罪することは、かえって人権擁護に支障がある。
つまり、病気を口実に我侭を通す不心得者を許してしまうことで、同じ病気と真摯に向き合い闘病する人たちまでが、偏見を持たれてしまうのだ。
朝青龍 の 「 病状 」 と、彼の起こした 「 不祥事 」 とは、切り離して対応を講じるべきであり、病気だから何でも許されるわけではない。
うつ病をはじめとする精神病の人々を数多く知っているが、健常者に悪人と善人がいるように、病人にも 「 良い病人 」 と 「 悪い病人 」 がいる。
中でも、最も 「 うっとおしい 」 のは、精神病扱いすると 「 私は正常だ 」 と激昂し、都合が悪くなると 「 病人だから仕方ない 」 と開き直る人だ。
正当な主張と、言い訳、弁解との違いは、普遍的でない 「 二面性 」 の有無や、状況によって使い分けられる論旨の食い違いに現われることが多い。
朝青龍 のケースでいうと、もし病気が事実ならば、謹慎期間とは関係なく、医師から 「 完治 」 を認められるまで、土俵に復帰させるべきでない。
仮病の場合も、病気を口実に責任から逃避することが、最も卑怯で許されざる行為であることを、そうやって徹底的に知らしめることが望ましい。
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