| 2007年04月19日(木) |
バージニア乱射事件の犯人 |
「 みんな、誰かに八つ当たりがしたいんだ! 」
映画 『 サタデー・ナイト・フィーバー 』 より
Everybody's got to dump on somebody!
Saturday Night Fever
大学に入って最初に観た映画が、この作品だったと記憶している。
世界的に大ヒットし、空前のディスコブームを巻き起こした。
冒頭の台詞は、ダンス・コンテストで最高の演技をみせたプエルトリコ系のダンサーを、人種差別により審査員が落選させる直後の場面に使われた。
主演のジョン・トラボルタが、自分に与えられた優勝トロフィーを彼らに渡し、恋人を連れて会場を後にしながら、社会の不条理に対して吐きすてる。
この作品では、普段は地味な生活を過ごしている主人公たちが、土曜の夜になるとディスコへ繰り出し、華麗なダンスに興じる。
そして、土曜の夜の興奮 ( フィーバー ) が収まると、また普段通りの生活に戻るのだが、そこには社会の矛盾や問題点が、色濃く渦巻いている。
やりきれない思いは、より弱い立場の者への差別意識や、八つ当たりなどに姿を変えることが多く、そんな現実に主人公は辟易としてしまう。
陽気で楽観的なイメージの強いアメリカは、片方で人種差別など 「 陰 」 の部分を抱えていて、昔ほど露骨じゃないにしても、根底に潜んでいる。
それが大人の社会だけでなく、たとえば学生の間にも根付いていることは、自分もアメリカに留学した経験があるので、十分に知っているつもりだ。
バージニアで起きた銃乱射事件の犯人である韓国人留学生も、そういった疎外感や孤独感に苦しみ、徐々に狂気へと駆り立てられた模様である。
犯人が自殺したので、精神鑑定を行うことなど不可能だが、常軌を逸した行動から推測して、とても 「 マトモな精神状態 」 だったとは考え難い。
前回の日記では、銃器の氾濫するアメリカ社会に問題があると書いたが、このような事態を食い止められなかった背景には、また別の問題がある。
犯人の学生は、室内でもサングラスをかけ、帽子を目深にかぶり、ほとんど他の学生と話もしないため、周囲からは不気味がられていたという。
事件後、彼に詩を教えていた教官が、彼が授業で書いた作品の 「 異様さ 」 に懸念し、大学当局や学内の警察に相談していた事実も明らかになった。
つまり、なんらかの 「 予兆 」 はあったわけだが、実際に暴力を振るうなどの行動はとっていなかったので、介入は難しいと判断されていた模様だ。
日本でも、狂気の沙汰としか思えない異常な事件が続発しており、捕らえてみると精神科の患者だったり、同じような前科を持った者の例が多い。
もちろん、むやみやたらに精神病患者を迫害してよい道理はないが、放置して悲劇を招くことが 「 仕方のないこと 」 であるとは、とても思えない。
精神科に通っているからといって、見るからに狂人ぽいわけでなく、きちんとした身なりをして、それなりに社会生活に順応している人も多い。
自分の周囲にもいるが、そういう人は気持ちのどこかで 「 私は正常だし、なにも狂気じみたところはない 」 と思い込んでいる。
だが、彼らの言う通り、もし本当に何の異常もないなら、「 どうして精神科に通っているの? 」 という疑問が残る。
実際、表面的な言動や、短い付き合いだけでは気付かない 「 異常さ 」 に驚かされたり、危険を感じることも少なくはない。
まして、今回の犯人のように、日頃から異常行動が目立っていたのであれば、周囲が何らかの 「 対策 」 をとっておく必要があったのではないか。
そういった異常者への 「 対策 」 が、人権団体や、頓珍漢な市民団体から槍玉に上げられ、非人道的だと中傷される傾向にある。
犯罪被害者のシンポジウムに参加した際、奥さんを殺害された弁護士さんも、「 その立場になるまで、自分は人権擁護派だった 」 と語っていた。
社会の秩序を維持し、生活の安全を守るためには、すべて無軌道に自由をばら撒くのではなく、特定の人物に対する監視や制限も必要だろう。
差別的だと思う人もいるだろうが、そうすることで周囲も、精神を病む人も、双方が被害者にも、加害者にもならなくて済む可能性が高い。
銃器や差別を撤廃することも大事だし、人権擁護も疎かにはできないが、異常者への対策をこまねいていると、また悲劇は繰り返されるだろう。
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