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2007年01月10日(水) 日本の常識



「 異常なまでに高められた常識のことを、世間は知恵と呼んでいる 」

           サミュエル・T・コールリッジ ( イギリスの詩人、批評家 )

Common sense in an uncommon degree is what the world calls wisdom.

                             Samuel T.Coleridge



多国籍企業の就労マニュアルは、総じて分厚いモノが多い。

日本では取るに足らない事が、別の国で重要な意味を持つ事例もある。


たまに、口癖のように 「 常識 」 という言葉を使いたがる人がいて、自分の意に介さぬ行動をとる人を指しては 「 常識がない 」 などと揶揄する。

ところが、言われている側には 「 非常識なことをしている 」 といった意識がまったくないという場面も、けして珍しくはない。

常識という言葉は、生い立ちや環境の近い人々、同じ価値観を共有できる人々の間にのみ通用する 「 共通認識 」 であることを、知るべきだろう。

歴史や文化、風習や宗教が異なる多民族の集団においては、「 常識 」 という言葉では伝わらない事柄も多く、事細かなルール決めが必要となる。

ある国の 「 常識 」 が別の土地では 「 非常識 」 だったりするので、大きなトラブルの原因にならないよう、事前に取り決めを行うことが望ましい。


過去において、日本は単一民族に近く、終戦まで国家規模による全体教育が施されていた背景もあり、誰もが似通った 「 常識 」 を思い描いていた。

戦後、朝鮮半島のように民族分断の不幸は免れたが、全体主義思想への回帰を避けたい占領国の思惑から、価値観の多様性を植え付けられた。

その結果、自由と解放を手に入れた代償として、愛国心や道徳といった 「 過去の日本人が “ 常識 ” として抱いていた概念 」 は共感性を失った。

今でも日本は、ほぼ単一民族に近い形態になっているけれど、「 隣の人間が何を考えているのか、さっぱりわからない 」 ような疑心暗鬼がある。

親が子供を虐待し、子供が親を殺し、教師が率先して生徒をいじめ、得体のしれぬ愉快犯や、魑魅魍魎の渦巻く社会に 「 常識 」 など存在しない。


そんなことは皆、誰もが承知の上で、いまだに日本人は 「 常識 」 で物事を判断し、「 常識 」 によって問題を解決しようとするクセが抜けていない。

あるいは 「 常識 」 を、「 良心 」 という言葉に置き換えてもいいだろう。

教育現場での 「 いじめ問題 」 しかり、「 少年法 」 しかり、「 教育基本法 」 しかり、すべてが曖昧で不安定な 「 常識 」 頼みである。

安倍内閣の提唱する 「 美しい国 」 という目標も曖昧だが、本気で実現を目指すなら、愛国心のみならず、事細かな明文化、法制化が必要だろう。

まず最初に 「 常識ありき 」、「 良心ありき 」 という大前提があり、そこから物事を考え始めるという習慣を、そろそろ変えるべき時期にきている。


いま、外資系企業の就労規則をつくる作業を手伝っているのだが、これは日本で必要だろうかという項目まで、かなり網羅されたものになる予定だ。

きっと、自分の頭の中にも 「 常識 」 という概念が潜在するので、外国人の助力も得て、いくつかの項目が抜け落ちないように注意を払っている。

ふと思うのは、これが外資系でなくても、これからの組織には窮屈でがんじがらめのルールづくりが、必要とされるのではないかという危惧だ。

国旗、国家を掲揚しない教師など、「 自由 」 と 「 無分別 」 の違いがわからない一部の 「 はみだし者 」 のせいで、窮屈な世界になってゆく。

それが、これからの日本の 「 常識 」 なのかもしれない。






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