| 2007年01月09日(火) |
国会議員の待遇を上げましょう |
「 お金を嫌悪する者は多い。
が、それを人にやってしまえる者は少ない 」
フランソワ・ドゥ・ラ・ロシュフコー ( フランスのモラリスト )
Plenty of people despise money - few are able to give it away.
Francois de la Rochefoucauld
ホリエモンは 「 お金で買えないモノはない 」 と豪語したが、どうだろうか。
私の意見としては、「 安いモノは、お金でも買える 」 と思っている。
たとえば、「 お金で買える友情 」 や、「 お金で買える愛情 」 なんてものは、いかにも安っぽくて、しかも薄っぺらい感じがする。
お金だけを目当てに働いている人の仕事ぶりも、やりがいとか、達成感などの副産物を求めて働く人に比べると、どうにも安っぽい印象を受ける。
実際、生きていくうえでお金は必要で、懐が暖かいと安心なのも事実だが、お金があれば幸福が保証されているのかというと、そのかぎりではない。
私が過去に手に入れたことのある 「 大切なもの 」 の大部分は、お金ではなく、知恵や勇気や体力や心意気といった、何か別の代償によるものだ。
ただ、お金に対する欲望や野心は、総体的に経済活動を活発にするうえ、競争を促すので、ことさらに嫌悪する必要もないと私は思っている。
何かの不祥事が起きると、大企業の役員や政治家は 「 減給 」 を自ら申し出て、禊 ( みそぎ ) という形で責任の決着をつけようとする。
それで一応の評価をされる方もいるようだが、私は個人的に、まるで納得をできないし、問題のすり替えというか、筋違いな解決策としか思えない。
それに、「 給料を50%返上します 」 と言える人たちは、半分の所得で十分に生活ができるわけで、本人にとっては痛くも痒くもない話である。
責任ある人たちには、「 所得を下げる代わりに、質の低い仕事で許される 」 ことはなく、高給と引き換えに質の高い仕事をしてもらわないと困る。
お金がすべてではないが、仕事内容と報酬面のバランスが悪いようでは、なにかと上手くいかないのが世の常でもある。
政治家の待遇について、給料が高すぎるとか、経費を使い過ぎてるとか、議員宿舎の家賃が安すぎるとか、いろいろと不満を並べる人がいる。
このあたりは 「 経費対効果 」 の問題であって、何の役にも立たないダメな議員には1万円だって払いたくないし、安いから良いというものでもない。
逆に、日本を画期的に良くする救世主みたいな人物が現れたら、今の給料の10倍払っても価値があるわけだし、本来、そう願いたいものである。
赤坂議員宿舎の建設費が高い割に家賃が安すぎると、訴えている政治家もいるが、国民が政治家に望んでいるのは 「 そんな仕事 」 ではない。
たかだか 「 そんな仕事 」 で満足して、国会議員としての給料を堂々と受け取っているようでは、彼への報酬は議員宿舎以上の 「 無駄金 」 である。
しみったれた事を言ってないで、国会議員には高い報酬を支払い、経費をふんだんに使わせ、よい家に住ませて、美味い物を食べさせるべきだ。
庶民感覚も必要だが、庶民と同じ責任感では困るし、特別待遇を与えることにより、「 相当、頑張らなければならない 」 という重圧にも繋がる。
そして、「 不祥事があったけど、お金を返すので許してね 」 みたいな甘えには耳を貸さず、給料分の働きをしない議員はどんどん追訴すべきだ。
民主党がよくやる 「 国会の欠席 」 なんかは、雇用者でもある我々国民が、「 なぜ仕事をしないで、給料を受け取るのか 」 もっと言及すべきである。
基本的に、国会議員の問題点は 「 給料が高いことではなく、仕事の質と量が低すぎる 」 ことにあり、そこに目をやらなければ発展しない。
現実問題として、政治にはお金が掛かるので、極端に待遇を抑えてしまうと、悪いことをしてお金を稼ぐか、富裕層出身者しか政治家になれない。
困っている人たちを身近に見て育ち、この日本をよくしようと理想に燃える才能ある正義漢を輩出するためにも、それは好ましくないだろう。
日本の政治を改善したいなら、国会議員の給料を倍増して、もっと待遇を良くしてみることが、とてもシンプルだが効果的ではないかと思う。
そうなると、ますます国民の監視は厳しくなり、政治への関心度も高まって、いい加減な議員や、責任を果たせない議員では通用しなくなっていく。
現状は、「 それほど儲かる商売でもない 」 のが国会議員の実態で、所得を上げることで優秀な能力の参入や、全体の底上げも期待できるだろう。
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