2005年02月22日(火) |
死刑という抑止力の低下 |
「 終始一貫して私が自分の漫画の中で描こうとしてきたのは、
次の大きな主張です “ 生命を大事にしよう! ” 」
手塚治虫 ( 漫画家 )
What I have been consistently trying to depict in my cartoons is the big assertion “ Let's respect life ! ”
OSAMU TEZUKA
死刑制度の是非については、長年にわたって討議され続けている。
最近の調査では 「 8割以上 」 の国民が、継続を容認しているらしい。
この問題について、私の意見は 「 死刑以上の罰則がないのなら容認するしかない 」 というもので、従って現段階では 「 死刑制度賛成 」 である。
遺族にとっては、「 簡単に殺したぐらいでは怒りがおさまらない 」 といった類の凶悪犯もいるはずで、死刑以上の厳罰が無いのも悲しい話だ。
子供の頃に観た映画 ( たぶん 『 宝島 』 だったと思うが ) の劇中で、囚われた主人公に、海賊の手下が以下のような 「 脅し 」 をかける場面がある。
「 死ぬ奴は運がいいほうだ 」
これはなかなかに恐ろしい名台詞で、「 死ぬよりつらい 」 目に遭わされるのかと思うと、身悶えてしまうところがある。
だいたい、日本国内の自殺者は年間で 「 3万人以上 」 もいる。
そんな時代に、「 命を奪われる 」 ことが、犯罪の抑止力になるだろうか。
近頃の凶悪事件を振り返ると、犯罪者が 「 逃走経路を準備していない 」 例や、「 逃走する意志がない 」 ケースなども多い。
寝屋川市で起きた小学校内での殺人事件も、犯行後、犯人の少年は凶器を所持したままタバコを吸ってその場にとどまり、逃走の意志がなかった。
生命や金品を奪った後、逃げようと画策するでもなく、警察官に取り押さえられるまで動かないという 「 覚悟の犯行 」 が増えているのである。
彼らの目的は、その犯行によって計画的に自分の利益を得ることではなく、むしろ 「 警察に捕まること 」 にあるようにもみえる。
数年前、池田市の小学校で児童を殺傷した犯人の場合は、逮捕後の供述において、死刑になることを承知で凶行に及んだという言動がみられた。
そう考えると、彼らもまた 「 自殺志願者 」 なのである。
精神的なプレッッシャーに押し潰され、落伍者になったような絶望感から 「 死 」 を選ぶプロセスは、自殺企図者と衝動殺人者の共通点でもある。
そんな人間に 「 法の裁きとしての死 」 を与えても、苦役とはいえない。
これだけ 「 死にたがっている愚か者 」 が多い世の中で、極刑が死刑というだけでは、それが 「 犯罪の未然防止策 」 として成立しにくい。
その中には、「 死にたいのだが、自分で ケリ をつける度胸も無い 」 という輩もかなりいて、連中は、たえず 「 楽な死に方 」 を模索している。
こんな人種に対して、「 人を殺せば、楽に殺してあげますよ 」 などと宣伝をすることは、犯罪予防どころか 「 甘い誘い 」 になってしまう危険もある。
先日も、交番に包丁を持った男が現れ、警官に 「 自殺したいので、拳銃を貸してください 」 と頼んだ 「 漫画みたいな奴 」 がいたという。
自殺企図者をはじめとする 「 人格障害者 」 が溢れる現代社会において、「 生命を代償とする 」 ことが秩序の安寧につながるとは考え難いのだ。
どこにも 「 マトモ の基準 」 などあるわけではないが、最低限、自分自身の生命を守ろうとする 「 生存本能 」 を亡くしては、「 マトモ 」 とはいえない。
死刑制度に賛成の人も、反対の人も、この 「 マトモ 」 な感覚をベースとして、量刑の大小を考えているのではないだろうか。
つらい目、しんどい目に遭うぐらいなら、自分の命など 「 屁 」 とも思わずに粗末にする連中に対して、けして死刑制度は 「 万能 」 ではない。
そんな軟弱で情けない連中は、簡単に 「 安楽死 」 を与えるよりも、絶対に自殺できないように監視しながら、天命まで苦役を強いるほうが望ましい。
それでも遺族の無念が、「 死 」 を以って償わせるしかないなら、電気椅子や絞首刑などという生易しい方法より、更に痛みのある死を与えるべきだ。
ネットでは、犯罪や、戦争や、天災や、さまざまな 「 身の危険 」 に対して、いろんな人がいろんな意見を述べている。
しかしながら、「 生命 」 を語る上で、自分の生命をないがしろにしている人間の主張など 「 なんの説得力も無い 」 わけで、ただ、虚しいだけだ。
自分の命なんだから 「 自分の裁量で好きに扱える 」 という意見もあるが、私には、その発想が正しいとは思えない。
死刑の是非を語る以前に、「 死 」 とはなにか、「 生 」 とはなにかといった問題について、もう少し共通の意識、共通言語を浸透させる必要がある。
いづれにせよ、「 死刑など恐れない、むしろ生き続けることを恐れる 」 などといった連中が増えていることは、現代社会の悪しき病巣といえるだろう。
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