2005年02月18日(金) |
若き管理職の方のお悩み |
「 人をリードするのに、ひっぱたいてはならない。
それは暴行であり、リーダーシップではない 」
ドワイト・D・アイゼンハワー ( アメリカ合衆国第34代大統領 )
You do not lead by hitting people over the head - that's assault, not leadership.
DWIGHT.D.EISENHOWER
仕事の出来ない部下や、同僚に対して、イライラする気持ちはわかる。
それは、しだいに 「 焦り 」 から 「 怒り 」 に変わることも多い。
いくら上司だからといって、部下のすべてを監督できるわけはないし、指導できる範囲や責任に関しても、限界というものがある。
若い人の気配りやマナーに関していうと、「 親の躾 」 に拠る部分も大きく、会社で学ぶような事柄は、むしろ少ないのかもしれない。
とはいえ、部下の失敗や、失態について、「 それは彼自身に問題がある 」 などと、レポートするわけにもいかない。
20代後半から30代前半ぐらいの 「 若い管理職 」 には、このような部下に対する責任や、リーダーシップの在り方についての悩みが多い。
振り返れば私自身も、その頃が一番、仕事が気になって眠れなかったり、情熱は溢れているのだけれど 「 空回り 」 することが多かった時期である。
結論からいうと、「 できない人間に、やらせた方が悪い 」 のである。
部署の使命は、すべて 「 所属長の責任 」 であり、各人の役割分担を決める裁量は、原則として所属長に委ねられるべきものである。
極端な例を挙げるなら、たとえば 「 100人分の仕事を、100人の部署に任せた 」 のだが、所属長以外はまるで 「 できなかった 」 としよう。
この場合、「 所属長1人で100人分の仕事をする 」 でも構わないし、全員を一人前に教育する方法をとっても構わない。
期限内に、目標が達成できれば、プロセスは 「 一通り 」 でなくてよい。
仕事というものは、本来 「 やるべき人がやる 」 ことが正しいが、この場合の 「 やるべき人 」 というのは、部下のことではなく、責任者のことだ。
自分と部下を同格に置いて、心のどこかで 「 俺は出来ているのに、どうしてコイツはできないんだ 」 などと舌打ちしているから、焦り、苛立つのである。
自分は 「 やらねばならない人間 」 で、部下は 「 やらなくてもよい存在 」 というぐらいにしか期待しなければ、腹をたてることなどない。
そのぐらいに考えていれば、たとえ僅かでも貢献してくれたら、同じ成果でも批判でなく、感謝するようになるものだ。
よほどの 「 お馬鹿 」 でないかぎり、部下の方も仕事の出来栄えは自覚しているもので、それを貶されるよりは、誉められたほうが、気分よく動く。
職位を与えられ、部下を従えたときに心がけることは、「 リーダー 」 になることであり、その心意気がない者は、引き受けるべきではない。
また、それは、人として 「 偉くなった 」 わけではなく、自分の中にある特別な才能を認められたことと理解することが正しい。
自分が偉いのではなく、自分には 「 仕事を成功に導く 」 使命が与えられたのであり、部下は 「 家来 」 でもなければ 「 駒 」 でもない。
ことさらに部下へ関心を示さず、自分が最も正しいと思う方法で仕事をすればよいだけで、それが本当に良策なら、部下も、成果も、後からついてくる。
それでも部下が動かないなら、リーダーとして影響力を与えられない不甲斐なさか、部下の能力が極端に不足しているかで、いずれにせよ決着はつく。
板前の世界に代表されるような 「 徒弟制度 」 では、仕事のできない人間に対して 「 それでも仕事を与える 」 ようなことはない。
それが、けして最良の方法というわけでもないが、長所もある。
まだ仕事を覚えていないので 「 皿洗い 」 しかさせてもらえない者は、先輩が包丁を操ったり、調理に腕を振るう姿をみて 「 仕事に憧れ 」 を抱く。
そして、機会が与えられたときには、最善の努力をして頑張るのだ。
出来の悪い会社員は、仕事もできないうちに 「 参加する機会 」 を簡単に与えられた為に、半人前でも 「 それなりの価値 」 を自分につけてしまう。
部下の仕事振りに 「 うんざり 」 して、ため息をついている管理職の人たちは、この部分を大いに反省すべきかもしれない。
出来ない人には、なにも 「 与えてはいけない 」 のである。
山本五十六大将の名言に、「 やってみて、やらせてみて、誉めてやらねば人は動かず 」 というものもあるが、それは 「 そこそこの部下 」 の話だ。
まるで出来ない人には仕事など与えず、「 どうすれば仕事に参加させてもらえるか 」 という部分から、自分で考えさせることが重要だと思う。
もちろん、その間は、部下の戦力を失うことにもなるが、レベルの低い者の手を借りるよりも、仕事のクオリティを維持するほうが優先されるべきだ。
10人の営業マンがいて、売上の一位から十位までが存在する。
この場合に、一位の成績をどんどん上げる方法と、下位の成績を少しでも押し上げようと指導する方法がある。
統計的に、これは前者の方法が 「 圧倒的に 」 効果が高い。
より優れた業績を伸ばす者の存在が、他者に競争意識や、自分のレベルに満足させない効果を生み、結果として全体の底上げにつながる。
もちろん、落ちこぼれた者を救済することも無駄ではないが、動機付けや、助言は与えても、手を貸すことは本人の為にも、全体の為にもならない。
リーダーの使命は、まず、目標を達成することにある。
自力で出来ればそれでよいし、どうしても部下の手を借りねば出来ないのなら、それは 「 自分の落ち度 」 と考え、協力を得る必要がある。
あえて部下の育成ということに主眼を置くのならば、それは彼らに 「 自分で考え、自分で行動させる 」 力量を身に付けさせることだろう。
ただ、30代前半あたりまでに、そこまで 「 達観 」 できる人は少なく、私の場合も、常に怒鳴り散らし、机に 「 蹴り 」 を入れていた記憶がある。
その直後、指導力のある上司に恵まれて、「 リーダーシップとは何か 」 を学ぶ機会に恵まれたからこそ考えが変わったわけで、自己発想ではない。
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