2005年02月15日(火) |
過去にこだわるという愚考 |
「 あなたが育った家庭は、これからあなたが持つ家庭ほど大切ではない 」
リング・ラードナー ( アメリカのジャーナリスト、小説家 )
The family you come from isn't as important as the family you're going to have.
RING LARDNER
毎日、日記の冒頭で 「 著名人の名言 」 をご紹介している。
その中でも、上記の一文は 「 多くの人に覚えてもらいたい 」 秀作と思う。
ワイドショーや報道番組では、なにか凶悪な事件が起きた後に、犯人像の心理分析を行うことが慣例化している。
それは、さも 「 重要な意義がある 」 ように語られるが、どうなのだろうか。
犯人が判明すると、幼い頃の家庭環境などが毎回のように取りざたされ、凶暴な性格や、反社会的な行動の原点を、そこに求めようとする。
たしかに、そこに何らかの 「 因果関係 」 がある確率も高い。
しかしながら、同じような境遇で育っても、社会に順応し、貢献できる人物に成長する人もいて、必ずしも 「 それだけが原因 」 とは言い切れない。
最近は、程度の大小はともかく、「 精神を病んでいる人 」 が多い。
彼らの一部は、「 カウンセリング慣れ 」 したことで、自らが患者であるという実情を忘れ、自分自身を 「 精神医学をかじった人間 」 と思い込んでいる。
それで、他人や、あるいは自分自身の 「 幼少時の境遇 」 に思いを馳せ、生半可な心理分析を始める人もいる。
それ自体に大きな問題はないのだが、自分を正当化するために、両親や、自分とは別の部分に 「 失敗の原因 」 を求め、言い訳にすることも多い。
そんな人に対し、冒頭の名言にあるような 「 過去よりも未来が大事だ 」 という発想を伝えてあげることが、なにより重要なのではないだろうか。
大学を卒業後、「 カウンセラー 」 という資格を得る過程では、数十年ぶりに心理学を学び、現在、別の資格のためにより専門的な学習を続けている。
カウンセラーの種類や、それぞれの範疇は多岐にわたり、無資格で出来るものもあれば、なかには 「 医者と同等の知識 」 が必要なものもある。
場合によっては、カウンセリングの途中で 「 専門医の協力を仰ぐ 」 必要の生じるケースもあり、「 人の相談を受ける仕事 」 も、なかなか難しい。
精神科医ではない 「 キャリア・カウンセラー 」 や、「 産業カウンセラー 」 でもこんな調子なのだから、専門医の苦労はたいへんなものである。
逆の見方をすれば、精神科に通っていない人でも、転職や、失業といった環境の変化で、精神に変調をきたしている人が増えているのも実情だろう。
大阪の寝屋川市にある小学校では、同校の卒業生である17歳の少年が侵入し、教諭3人を包丁で襲い、1人を殺傷するという事件が起きた。
現在のところ、黙秘を続けているので動機などは不明である。
明日以降、別の少年事件と同様に、今回も彼の生い立ちや、家庭環境などにスポットを当て、特集する報道が組まれるであろう。
問題は、同じような境遇を過ごしたか、あるいは本人の誤解、曲解により、自分は 「 不幸な幼少期を過ごした 」 と感じている人への影響である。
社会は “ それ ” を 「 犯行へのエクスキューズ 」 にしてはならず、マスコミには、「 だから、仕方がない 」 という結論に、及んでもらいたくないのだ。
大抵の悪い出来事には 「 問題 」 があって、「 結果 」 がある。
それは事実だけれど、「 生い立ちや、幼少期の環境は人格形成に影響がある 」 と認めてしまうことが、同じ苦悩を抱える人々を救うとはかぎらない。
むしろ、「 そんなことは何の言い訳にもならない 」 とか、「 すべては本人の責任である 」 と断じるほうが、新たな犯罪の抑止力にもなるはずである。
マスコミや公共団体は、片方で 「 生い立ちによる就職差別をなくそう 」 などと謳いながら、一方では “ それ ” にこだわった報道をしたりする。
精神の病んだ人たちを 「 事件の主役 」 にしてしまう背景には、このような 「 特別扱い 」 や、「 当事者の過去 」 への、マスコミの執拗な追求もある。
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