Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2005年02月14日(月) 神経過敏な人々による パニック の誘発



「 この世は、考える者にとっては喜劇であり、

  感じる者にとっては悲劇である 」

                  ホラス・ウォルポール ( イギリスの著述家 )

This world is a comedy to those that think; a tragedy to those that feel.

                             HORACE WALPOLE



どうしても、何があっても、そんなに 「 牛丼 」 が食べたいのだろうか。

一日限定の販売には、さまざまな悲喜劇があった模様だ。


大手牛丼チェーン 「 吉野家 」 が牛丼の販売を中止してから、およそ一年が過ぎた11日、「 一日限定 」 の販売が再開された。

各店舗には長蛇の列ができ、軒並み好評だったようだ。

私は、家で牛丼をつくって食べるのは好きだが、あの 「 汁気の多い牛丼 」 が好きじゃないので、ほとんど利用する機会はなかった。

したがって、今回も食べに行くことはなかった。

それでも、全国には 「 吉野家の牛丼の愛好者 」 が数多いと理解しており、今回の盛況ぶりは 「 根強い支持 」 を示している証拠と改めて認識した。


一部の店舗では、ちょっとしたトラブルや、事故があったらしい。

限定販売のため、遅い時刻に入店したお客さんへの対応が間に合わず、「 売り切れ 」 という説明を不服とし、従業員に暴行をはたらく例もあった。

開店前に、店舗の横にある駐車場へ車を停めようとしたお客さんが、焦ってアクセルとブレーキを踏み間違え、店舗の側面を大破させた例もある。

運転技術の問題もあるだろうが、既に行列が並んでいるし、お腹は空いているし、限定販売だし、という焦りが重なって、思わぬ事故に至ったようだ。

それこそ、お腹が 「 ギュウ 」 と鳴って、車が 「 ドーン 」 とぶつかったという事故で、この日の騒動を象徴するエピソードだったように思う。


なにかと 「 食の安全性 」 が指摘される昨今において、我々が一体、なにを食べればよいか、なにを食べない方がよいかは、難しい問題である。

酒やタバコと同じく、それが人体にどのような影響を及ぼすか、それを知ることも、たしなむことも、個人の裁量に委ねられる部分が大きい。

ただし、よほど 「 危険性が高い 」 と推察されるものは、厚生労働省をはじめとする各種公的機関から、輸入や販売を禁止する措置が講じられる。

その一つに、「 BSE ( 牛海綿状脳症 ) 」 に感染した牛肉が混じる危険を恐れ、アメリカ産牛肉を輸入停止する措置があり、現在も続けられている。

それによって、最大の供給ルートを絶たれた吉野家が、牛丼の販売を続けられなくなった背景は、皆様すでにご承知の通りであろう。


哲学的な話をするつもりはないが、我々は生きていく上で 「 他の動植物を殺して、その屍を糧とする 」 宿命を負っている。

それが 「 可愛そう 」 などと言っていては生きていけないわけで、動物性の肉を食べない ベジタリアン でも、植物を採取する恩恵に浴している。

病気になった牛を 「 悪い牛 」 と判断するのも人間のエゴで、牛にしてみれば 「 病気になったおかげで、食べられずに長生きできた 」 可能性もある。

それを、「 健康に育ち、人間に美味しく食べられることが牛の幸せ 」 と決め付けるのは、ちょっと虫が良すぎる話かもしれない。

いづれにせよ彼ら ( 牛 ) の病気は、彼ら自身が抱えている窮状ではなく、人間にとっての 「 困った問題 」 として、大きな不安材料になっている。


物事を 「 考える習慣 」 の多い人と、「 感じる習慣 」 の多い人では、悩み事の種類や、生き方の 「 クセ 」 みたいなものが異なる。

たとえば、「 鯨は栄養価が高く、美味しく、食物資源として有益 」 と考える人と、「 鯨を食べては可愛そう 」 という感情論の人では意見が分かれる。

そこまで極端な例でなくても、「 栄養があるから食べる 」 という科学的根拠に基づく意見と、「 美味しいから食べる 」 という感覚的な意見は違う。

もちろん、感覚を優先するからといって 「 考えが浅い 」 というわけではなく、栄養が無いのは承知のうえで、美味しいから食べるという場合もある。

大事なことは、本質をよく考えもしないで、感情論で結論を求めすぎたなら、それは後悔する結果、間違った結果に陥りやすいという事実である。


アメリカ牛肉の問題でいうならば、BSE の影響で 「 亡くなったアメリカ人 」 の数について、あまり関心が持たれていないことを不思議に思う。

未知の危険を恐れるあまり、「 確率 」 にスポットを当てていない気もする。

飛行機に乗るとき、それは墜落に伴う 「 数多くの危険要因 」 を孕んでいるわけで、いくら機械が進歩しても、その危険が 「 0 」 にはならない。

それでも、地上における交通事故の発生件数より 「 事故率が少ない 」 ことを根拠として、その利便性を活用する人が多い。

食べ物も、基本的には 「 それと同じ 」 ことではないだろうか。


農薬や、環境破壊や、それに伴う河川、土壌の汚染から鑑みて、絶対的に安全な食べ物など、この世には存在しないような気がする。

アメリカ牛肉を輸入しないのは、それが 「 危険だから 」 というよりも、他に 「 替わるものがあるから 」 という理由の方が大きいのではないか。

和牛、オーストラリア牛など、いろいろな国の牛肉が流通している中で、あえて危険の指摘されているアメリカ牛を輸入する必要性は少ない。

それを取り違えて、神経過敏に 「 食の危険 」 だと騒ぎすぎるのは、その他の食物を摂取したり、流通させるうえでも、あまり良い兆候とは思えない。

利害面にこだわるのは結構だが、「 感覚的な毛嫌い 」 で物事を判断する習慣がはびこると、世の中は面倒なことが多くなっていくものである。


悩み事も、「 考え過ぎて 」 困っている人というのは救いようがある。

ちゃんとした 「 原因 」 があって、原因があるからには大抵 「 対策 」 もあるわけで、できる、できないは別としても、解決方法はある。

それに対し、「 感じ過ぎて 」 悩んでいる人は、ちょっと厄介である。

とりたてて問題でもないのに、本人だけが深刻に落ち込んでいたり、些細な事柄に 「 死ぬの、生きるの 」 と苦悶していたりする。

そういう人たちは、パニック を先導し、皆が 「 悩む 」 ように仕向けることを好む傾向にあり、アメリカ牛問題も少なからず影響を受けている。


私自身は、アメリカによく行くので、現地では必ずアメリカ牛を食べる。

いまのところ、死んでいないし、大病を患ったこともない。

そのうち 「 死んじゃう 」 かもしれないが、たぶん、「 なんとなくアメリカ牛肉が怖いので、ビクビクしながら暮らしています 」 という人よりは長生きする。

吉野家の肩を持つ気はないが、他の食べ物に比べて特に 「 アメリカ牛が危険 」 という根拠は乏しいように思うし、過剰に警戒し過ぎな気がする。

それに、週末の様子を見ればわかるように、「 あれだけ大勢の人が待ち望んでいる 」 ならば、リスクと比較しても門戸を開放するべきかと思う。






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