2005年02月11日(金) |
真のコミュニケーションとは |
「 将来においては、二種類の会社があるだろう。
ウェブサイトを持つところと、廃業したところ 」
ビル・ゲイツ ( マイクロソフト会長 )
In the future, there will be two kinds of companies − the ones with websites and those no longer in business.
BILL GATES
初めて彼が 「 コンピューターのプログラミング 」 をしたのは、13歳のとき。
20歳で彼は、IT 事業に全力を投じるため、ハーバードを二年で中退した。
彼が会長を務める 「 マイクロソフト・コーポレーション 」 は、世界78カ国で50,000人以上の従業員を擁し、売上高は3,000億ドルに迫っている。
もし、彼が地上に存在しなかったら、あるいは、別の生き方を選んでいたとしたら、世の中は少し違ったものになっていたかもしれない。
たとえば、ささやかな 「 この日記 」 も存在しなかったかもしれない。
ハイテクは、人と人とのつながりにおいて、過去では考えられなかったような結びつきに寄与し、多くの人々がその利便性を享受している。
いまや、インターネットが無い生活など、考えられなくなった。
携帯電話やインターネットのなどのことを、「 コミュニケーション・ツール 」 という呼び方をする場面も多い。
それは、「 コミュニケーション 」 という言葉の意味を、お互いの意思疎通だとか、情報伝達の手段として理解する機会が多いためであろう。
もちろん間違いではなく、「 コミュニケーションが良い 」 という言葉は、意思疎通ができていたり、円滑な情報交換が行われている様子を指す。
しかしながら、携帯電話が普及したことで、あるいは、インターネットを利用する人が増えたことで、本当に人間同士の交流は深まったのか。
通信機器の発達によって、情報発信の総量が増えたことは事実だけれど、世界中の人々が仲良くなったり、距離の壁が打ち破られたのだろうか。
その答は、「 ノー 」 と言わざるを得ないだろう。
いくら情報のやり取りが頻繁に行われても、それで 「 コミュニケーション 」 が良くなったと認められるものではない。
わだかまりのある相手に対して、受け入れられない主張を何度も発信したところで、お互いの溝が埋まるはずがない。
数年前に比べると、北朝鮮からの情報は格段に増えたが、国家間の親睦が深まったかどうかは、はなはだ疑問である。
相手に言葉を送れるようになることが、すなわち 「 コミュニケーション 」 というわけでもないことを、我々はもう少し認識したほうがよいのではないか。
本当の 「 コミュニケーション 」 というものは、単なる情報の送信ではなく、お互いの理解を深めるとか、別のところにあるような気がする。
さらに言えば、「 コミュニケーション 」 というものは、「 行う 」 ものではなく、「 起きる 」 ものなのかもしれない。
一方的に 「 行おう 」 としても、相手側に受け入れられなければ成立しないわけで、相手が理解し、受け入れて初めて 「 起きる 」 ものではないか。
それは、人と人の関係に留まらず、「 人と機械の関係 」 にも当てはまる。
某大手銀行では、「 バリュー・コミュニケーション 」 というスローガンを掲げた直後、大規模なシステム障害が発生し、利用者に多大な迷惑が及んだ。
あるいは、「 食品の品質向上 」 というポスターを工場内に掲げた大企業が 「 偽装工作事件 」 を起こした例もある。
安全対策が不十分で、事故の多い現場において 「 安全第一 」 という文字の垂れ幕だけが、深い考えもなしに貼り出されているところもあるようだ。
どちらかというと 「 コミュニケーション 」 という言葉を、手段とか方法という意味で使っている人は多いが、結果として捉えている人は少ない。
本来、発達した通信機器などを大いに活用して交流を深め、お互いの心情を理解し合い、打ち解けることによって 「 コミュニケーション 」 は生まれる。
回を重ね、信頼を積み重ねた結果として、それは 「 起きる 」 ものであったり、自然に 「 沸いてくる 」 ようなもののはずだ。
大手ファイナンシャル・グループの 「 三井住友 」 と 「 大和証券 」 が、本年度中の経営統合を目指して、動き始めたという。
両者の総資産を併せると 「 140兆円 」 となり、現状、国内最大級である 「 みずほファイナンシャル・グループ 」 に並ぶらしい。
幅広いサービスを提供することで、収益力の高い総合金融グループの形成を目指すことが狙いとのことだが、はたして、その通りになるだろうか。
方針や哲学の異なる大手二社が合併する場合、必ず問題になるのが前述の 「 コミュニケーション 」 であり、そこから生まれる 「 ひずみ 」 だ。
そこに、努力やプロセスを講じることが 「 コミュニケーション 」 だと盲信するトップがいた場合、あまり良い結果は期待できず、どうにも不安は大きい。
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