2005年02月07日(月) |
助成金を申請しない企業 |
「 環境さえ整っていれば、僕のような障害者は、障害者でなくなる 」
乙武 洋匡 ( 作家 )
If the environment is properly conditioned, a physically handicapped person like me ceases to be physically handicapped person.
HIROTADA OTOTAKE
お金は大切なものだが、人生は 「 それがすべて 」 ではない。
働くこともまた、お金を稼ぐだけの行為とはいえない。
私は人材を育成する仕事において、より多くの人に 「 働く喜び 」 を知ってもらいたいと願うし、そのためのお手伝いができれば幸いに思う。
その考えは、自分自身の過去の体験によるところが大きく、仕事というものは苦痛ではなく、本来、楽しいものだということを感じてきた。
もちろん、「 遊んでいるほうが楽しい 」 ことは否定しないが、仕事を通じて体験する楽しさは、遊びの場面で得る楽しさとは少し質が違う。
現実には、「 ただ苦痛でしかない仕事 」 に明け暮れて、苦しんでいる人がいるのも事実だが、職場の選択や、働く姿勢に問題のあることが多い。
そう言うと、「 生活のためだから仕方がない 」 と反論されるのだが、ならば、生活そのものが 「 身の丈 」 に合っているか、検証する必要もある。
個人の 「 労働力 」 は、「 その人の能力 × 情熱 」 ではないかと思う。
いくら能力が高くても、「 やる気 」 が不足していると良い結果が出ないし、やる気だけでは処理できない仕事というものもある。
あるいは、「 質 × 量 」 というケースも多い。
営業マンでいうなら、商談のスキルが高く、訪問頻度 ( あるいは回数 ) の多い人が、大抵は良い結果を残しているものだ。
だから、スキルを磨くことばかりに注力せず、「 情熱を保つ 」 ように心がけることも大事で、そのためには 「 仕事を楽しむ 」 姿勢が不可欠となる。
それには、当たり前の話だが 「 楽しめる仕事 」 を選ぶのが一番である。
やりがいを感じるとか、得意分野で実力を発揮できるとか、きわめて待遇が良いとか、職場の雰囲気が気に入っているとか、そういう仕事のことだ。
とはいえ、近頃の 「 就職難 」 という時勢で、そのような 「 性に合う仕事 」 を見つけることは難しく、なかなか理想通りにはいかない。
多少、気に入らない面があったり、自分と 「 マッチングしない 」 要素などがあっても、その溝を埋める努力や、条件を妥協する判断を求められる。
その場合には、与えられた環境の中で 「 最大限に仕事を楽しむ 」 ことがベストであり、それが 「 できない 」 人は、職場を移ったほうがよいだろう。
もちろん、どんな仕事でも辛いことや、苦しいことがあるけれど、苦痛ばかりで、まったく楽しさを感じないというのでは 「 不幸 」 でしかない。
仕事のストレスを他のことで紛らわそうとしても、それには限界がある。
ちなみに、曜日別にみると 「 サラリーマンが自殺を図る日 」 では突出して 「 月曜日 」 が多く、休日を楽しんだところで、なんの解決にもなっていない。
仕事帰りの一杯や、軽い憂さ晴らしも悪くないが、やはり仕事のストレスは 「 仕事で解消する 」 のが一番で、そのように習慣づけることが望ましい。
自分の仕事のどこかに 「 楽しさ 」 がないか探し、どうしても見つからなければ他の仕事に移ればよい話で、そんなことのために死ぬ必要などない。
それに、「 仕事が辛くて悩んでいる人 」 は、周囲が見えていない。
世の中には、その 「 仕事 」 に就きたくても、働けない人がいるのだ。
近頃の失業率が高いとはいっても、体さえ丈夫で、贅沢さえ言わなければ、なんらかの仕事に就くことは可能で、働く機会は与えられるものだ。
その点、「 障害者 」 と呼ばれる人たちが活躍できる職場は少ない。
いくら福祉や保護が行き届いていたとしても、彼らに 「 働く喜び 」 を与えることについて真剣に考える人や、企業の数は、まだまだ少ないのである。
障害者を雇用する事業主への補助金を 「 助成金 」 という名目で支給する制度もあり、最近では若干の雇用も創出され始めた。
ただし、一部の企業では、「 補助金がもらえる 」 ことだけを目当てとして、指導や育成が 「 おざなり 」 になっているケースも少なくない。
彼らが働きやすい環境づくりも、「 改装に助成金が出ないならやらない 」 と露骨に口にしたり、あるいはそれを 「 悪用 」 する企業まである。
つまり、もともと改修する予定のあった工場などに、障害者を雇い入れて、改装の費用を 「 助成金で浮かそう 」 とするのだ。
このような 「 誠意を踏みにじる 」 企業に対して、行政側におけるチェックは甘く、せっかくの予算が無駄に空回りしているという現実もある。
知り合いの企業に、「 O さん 」 という20代の障害者が働いている。
彼は既に5年以上、ここで働いているが、企業は助成金を申請していない。
社長以下全員、社員は 「 O さん 」 に厳しく、障害によって出来ないことはさせないが、「 できることはすべてやらせる 」 方針を徹底している。
手を抜けば、「 馬鹿野郎! 」 の激が飛び、最初の頃は休み時間に泣いていたり、辛くて欠勤することも多かったが、最近はそれもない。
今では 「 その会社に欠かせないメンバー 」 として明るく働いており、訪問すれば笑顔で挨拶を交わす 「 私の友人 」 でもある。
ここの常務さんに 「 助成金 」 の話をしたところ、制度自体はよくご存知で、たしかに 「 儲け 」 にはつながると認識しておられた。
しかしながら、「 彼を口実に助成金をもらうことは、彼に対して失礼である 」 という理由から、今後も申請はしないという。
また、「 うちは “ 人助け ” をするほどの企業ではない 」 と笑い、今後、彼以外の障害者を雇用する予定もないと話した。
彼らは障害者としてではなく、仲間として 「 O さん 」 を認めており、だからこそ彼は、汗をかきつつ笑顔で働き、叱られ、また働いている。
常務さんに 「 だいぶ仕事に慣れてきたみたいですね 」 と言うと、笑いながら 「 調子に乗ってやがるから、喝を入れんとな 」 と、返事がかえってきた。
障害者の雇用といえば、福祉団体が主催する催しだとか、あるいは民間の場合、大勢が働く軽作業的な工場勤務といったイメージが強い。
前述の企業みたいに、「 本人の個性、能力、人柄 」 などを考慮して、単体で一個人として採用し、分け隔てなく 「 戦力 」 として扱う企業もある。
しいて 「 健常者との違い 」 を挙げると、健常者の 「 情熱 」 が時間と共にへばってくるのに対し、彼らのやる気は、尻上がりに伸びていくようだ。
なかなか雇ってくれる企業もない中、やっと就職でき、汗と涙で仕事を覚えた彼らには、働く喜びや誇りというものがあり、とても充実している。
慣れるほどに仕事への自信がついていくのだから、情熱は尻上がりに伸びてゆき、とても良い 「 仕事の顔 」 をする彼らに、学ぶところは大きい。
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