「 今日という日は、残りの人生の第一日目である 」
作者不詳
Today is the first day of the rest of your life.
ANONYMOUS
今日は、「 2005年2月5日 」 である。
私がこの世に生を受けて、45回目の 「 第一日目 」 が始まる。
よく、「 平均寿命 」 が上がったとか、下がったとか、そういう話題に接するが、我々にとってもっと興味深いのは 「 平均余命 」 である。
たとえば、乳幼児のうちに亡くなった人も、100歳まで長生きした人も、すべてひっくるめて平均を出したものが 「 平均寿命 」 となる。
それに対して 「 平均余命 」 というのは、たとえば、45歳まで生きた人が、「 あと何年ぐらい生きられるか 」 という平均を算出したものである。
当然、その年齢までに亡くなったケースは除外されているわけで、こちらのほうが 「 高い数字 」 を示すことになる。
ちなみに、平成14年度の資料で 「 45歳男性の平均余命は34,97年 」 となっており、80歳ぐらいまで生きる人が多いことを示している。
若い頃には考えもしなかったが、人の一生というものは短い。
あれもやりたい、これもやりたいと望んでも、世界中を見て回りたいだとか、あらゆる体験をしたいと思っても、やれることには限界がある。
その中で一体、自分は何を選び、どう生きていくのか。
誰にも、その 「 正解 」 はわからないし、たとえ親や周囲がその心配をして、進路を誘導しようとしても、未来に対する保障はない。
人生を無駄にしても、有意義に過ごしたとしても、せいぜい100年かそこらで終わりが来るわけで、そう考えると虚しいものでもある。
そんな短くて虚しい人生で、せめて自ら 「 限界 」 を決め付けてしまわないことが、私には大事なことのように思う。
自分の評価は、自分自身の満足度であると同時に、周囲の他人が決めるものでもあり、社会が 「 その貢献度 」 を判断するものでもある。
全力を出し切ってさえ、どこかに 「 限界 」 があるのに、そこまで行かない間に挫折したり、妥協したり、立ち止まってしまったのではもったいない。
意義のある行動を起こしても、ぼんやり寝て過ごしても、同じように時間は経ってしまい、カレンダーをめくるように、残された日々は減っていく。
だったら、今日は何もできなくても、明日、何かができるように、新しい日に希望を持って生きていきたいものだと思う。
話は変わるが、「 自分の “ 銅像 ” を建てたがるのは、男性だけである 」 という話を、どこかで聞いたことがある。
それは何故かというと、いくら世界が 「 ジェンダーフリー 」 になっても、男性には 「 絶対、できないこと 」 があるからだという。
それは、「 子供を産む 」 という能力だ。
女性と違って、根本的に 「 この世に生きた証を残す 」 という身体的能力が欠如しているわけで、それを “ 偶像 ” に託そうとするらしい。
年をとって、お金や地位に対する欲望より、名誉や、後世に何かを残したいという欲求が強くなってくると、そんな風に考える人もいるのだという。
お金を貯めて、人通りが多い一等地の小さな土地を買って、なるべく通行の邪魔になるようなところに “ 銅像 ” を建てるのも一興ではある。
歩行者から 「 なんだよこれ、邪魔だなぁ 」 と迷惑がられ、いつまでも人々の記憶に残すのも、なかなか面白いかもしれない。
そのうち、区画整理か何かで撤去されるかもしれないが、田舎の山奥で埃を被ってしまい、誰にも関心を示されないよりは 「 マシ 」 な気もする。
よっぽどの有名人にでもならない限り、そこを訪れる人は少ないだろう。
いづれにせよ、多分、私には縁のない話で、いまのところそんな気はない。
今年は、春頃から 「 新しい仕事 」 に取り組む予定がある。
20代の若者を相当数お預かりして、ビジネスマンとしての教育を施し、企業に再配置することが 「 使命と役割 」 で、面白いけれど責任の重い仕事だ。
そのために、自分自身も 「 勉強中 」 で、新しい資格を昨年中に取得したし、今年も別の資格を取得するために、日々、若干の時間を割いている。
たぶんこれが 「 45歳のときの仕事 」 として、後から振り返れるようなものになるだろうし、自分でも成果を期待している。
立派そうな仕事だが、「 ボランティアではない 」 ので、いやらしい話だけど 「 お金 」 も、けっこう儲かるのである。
それまでの間は、一部の企業と、関係する 「 お役所 」 への往復が忙しく、たいして投資は必要ないが、かなりの時間を浪費することになるだろう。
また、この仕事の詳細は 「 守秘義務 」 があるので、あまり話せない。
この日記でも、デュアルタイムに書くことには制約があるので、もう少し先になって 「 時効 」 がくれば、苦労話など載せたいと思う。
それまで 「 日記 」 が続いていればの話だけれど、「 喋りたがり 」 の私のことだから、どこかで報告させていただく機会もあるだろう。
そんな決意と希望をもって、私の45歳を 「 始動 」 することにしよう。
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