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2005年02月04日(金) 最強の企業が持つ 「 魔法 」



「 人のやったことは、まだ人のやれることの百分の一にすぎない 」

                         豊田 佐吉 ( 発明家、事業家 )

What people have done is only one-hundredth of what they are capable of.

                              SAKICHI TOYOTA



豊田 佐吉 氏 は、自動織機の開発などで知られる 「 発明王 」 である。

彼の息子 喜一朗 がつくった自動車会社は、現在の 「 トヨタ自動車 」 だ。


低迷する日本経済界において、トヨタ自動車は二年連続して一兆円を超える純利益が計上できる見通しで、今期は 「 史上最高益 」 となりそうだ。

全体が悪い時期に、堅調な企業があることも珍しくはないけれども、それはベンチャーや、小さい企業である場合が多い。

大企業であればあるほど、市場の影響を受けやすい環境にもあり、消費の低迷が直撃しやすい状況にあるからだ。

そんな中で、世界販売を堅調に伸ばし、経費削減効果によって営業利益を400億円も押し上げたトヨタの偉業は、賞賛に値する。

名実ともに 「 日本を代表する企業 」 として、彼らは頂点に立っている。


過去において、トヨタは 「 トヨタ方式 」 という言葉で内外から注目を集めたことが二度あり、自動車業界のみならず、世界中がそれを学ぼうとした。

最初は 1973年 「 オイルショック 」 のときで、次は 1991年 「 バブル崩壊 」 直後のことである。

どちらも飛躍的な経済成長に 「 突然の逆風 」 が吹き荒れた時期で、急激な経済環境の変化により、多くの企業は軒並み赤字に転落していた。

ところが、トヨタだけは黒字を保ち続けていたのである。

数ある企業の中で 「 どうしてトヨタだけが 」 という疑問が沸き立ち、それはやがて 「 環境の変化に強い経営戦略 」 という答につながっていった。


1970年代、それは 「 世界最強 」 といわれたアメリカの製造業が、敗戦から立ち直った日本の製造業に敗れるという 「 歴史的瞬間 」 でもあった。

アメリカが、なぜ日本に負けることになったのかを調べていくうちに浮き彫りとなったものの代表格が 「 トヨタ方式 」 である。

当時のアメリカにおける製造業には、経営戦略はあっても、「 製造戦略 」、あるいは 「 現場戦略 」 がなかった。

この事実を、主にトヨタの生産方式を調べることで、彼らは知り得たのだ。

その後、注目を浴びたトヨタ方式は 1980年代にアメリカへ、1990年代にはヨーロッパへ浸透し、世界の製造業で導入、展開され、現在に至っている。


面白いのは、トヨタの社員に 「 “ トヨタ方式 ” とはなにか? 」 と尋ねたら、三種類の答 ( 解釈 ) が返ってくるというところだ。

たとえば、生産現場の作業員に聴くと 「 それは “ トヨタ生産方式 ” だ 」 として、「 ものづくり 」 の在り方だという答が返ってくる。

リーダークラスの作業者や、技術者、管理者、事務系スタッフに尋ねると、「 それは “ トヨタ改善方式 ” である 」 という答が返ってくる。

無駄を徹底的に排除する “ トヨタ の改善姿勢 ” を思い浮かべる人が多く、それこそが 「 トヨタ方式 」 と信じて疑わない。

また、経営層に尋ねると 「 それは “ トヨタ経営方式 ” だ 」 と答え、変化し続ける経営思想こそが、「 最強の経営理念 」 という解釈になっている。


大事なことは、「 どれが正解か 」 ということではない。

職種や階層を超越した、あらゆる部署で 「 自分は最強の “ トヨタ方式 ” で仕事をしなければならない 」 という理念が浸透していることが素晴らしい。

これまでに、さまざまな国の、ありとあらゆる業種、業態を持つ企業がトヨタを見学し、「 トヨタ方式 」 を享受しようと試みてきた。

それで実績の上がった企業もあれば、相変わらずのところもある。

業務の効率化や、生産性の向上といった 「 技術的な側面 」 ばかりに囚われて、真の 「 強み 」 に気づかない企業には、あまり効果がないようだ。






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