Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年12月06日(月) ルールに拘る人々


「 私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても、このユダヤ人たちを

  助けようとはしないかもしれない。 でも、僕たちはやろうか 」

                             杉原 千畝 ( 外交官 )

If there were a hundred people in our position, none of them
would want to help those Jewish people. But shall we do it ?

                             CHIUNE SUGIHARA



1940年8月、リトアニアの日本領事館前に、数百のユダヤ人が集まった。

彼らは一様に、「 日本通過のビザ 」 を求めていた。


当時、ナチスドイツによる 「 ユダヤ人狩り 」 が始まっていたのである。

リトアニアの領事館代理であった 杉原 氏 は、本国へビザを発給する許可を求めたが、外務省の返答は 「 ノー 」 であった。

外務省の命令に逆らえば、外交官としての未来がなくなるばかりではなく、同盟国に対する裏切り行為として、軍部から糾弾される恐れもある。

しかし、その代わりに領事館の外で待つ人々は助かるかもしれない。

そんな 「 重大な選択 」 を迫られた中、夫人に向けて発した冒頭の言葉だが、「 僕たちは・・・ 」 という表現の通り、それは二人の決断でもあった。


結果的に、彼は 「 六千人 」 ものユダヤ人の命を救ったのだが、彼に、これほどまでに勇気ある行動を起こさせた原因は何だったのか。

その答えは、彼が遺したもう一つの、以下の名言の中にある。

「 私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。
  でなければ、私は神に背くことになる        」

I cannnot forsake those people who come to me for help.
If I did, I would be turnning against God.

彼は、定められた 「 ルール 」 ではなく、己の信念に基づいて行動し、その勇気が多くの人命を救い、後の世の人々から賞賛されることとなった。


いま、憲法改正論議が、多くの人々の関心を集めている。

今から60年も前の、しかも 「 占領軍 」 から押し付けられたような憲法を、いつまでも見直さないというのは不自然だ。

しかし、中には 「 戦後、日本が平和にやってこれた 」 のは、すべて憲法のおかげだと盲信する人をはじめ、根拠無く、今の憲法に執着する人も多い。

たとえば、「 イラク国内へ自衛隊員を派遣すること 」 について、それが憲法に違反するか否かを、もっとも重要な争点だと示す人もいる。

はたして、憲法とは、そういうものなのだろうか。


ご存知の通り、日本は 「 法治国家 」 であって、国民は等しく 「 法 」 を遵守することが義務付けられている。

たしかに、「 刑法 」 とか 「 憲法 」 とか、秩序に関するガイドラインというものは必要で、それがなければ 「 無法地帯 」 と化してしまう。

しかし、本当に 「 法 」 がすべてに優先され、「 法 」 がすべてを解決できるものなのだろうか。

前述の 杉原 氏 が、国家で定めた手続きに従ってビザの発給をしなかった場合、六千の無実の人々は命を失うこととなったが、彼には何の罪も無い。

彼は、当時の 「 法 」 に従わなかったことで、人命を救ったのだ。


たしかに 「 法 」 は大切だが、その前に 「 道徳 」 というものがある。

ルールに拘ることよりも、「 人の道を誤らないこと 」 のほうが、なにより優先される社会こそ、本来あるべき姿ではないだろうか。

イラク戦争にかぎらず、戦争は、けして 「 正しい行為 」 ではない。

ただし、「 戦争を仕掛けた者 = 悪 」、「 被害を受けた者 = 善 」 といった二元論では処理できない背景というものも、そこには存在する。

イラクへの自衛隊派遣に賛成する意見も、反対する意見も、それぞれ尊重されるべきとは思うが、「 憲法違反だから 」 という論点では、幼稚すぎる。


つまり、「 法 」 とは、あくまでも我々が秩序正しく、安全に暮らしていくための手段であって、それを守ること自体が目的ではない。

たまに、「 憲法改正を “ 命がけで阻止する ” ぞ 」 みたいなことを言う人もいるが、よく考えてみると本末転倒も甚だしい。

つまらないことで命を危険に晒したくないから 「 法 」 が必要なのに、それを決めるのに命をやりとりするなどという発想は、愚の骨頂である。

どこぞの自殺バカが 「 こんな危険な世の中じゃ不安なので、自殺します 」 とほざいているのと同じで、「 手段 」 と 「 目的 」 が倒錯している。

けして 「 法 」 を軽んじるつもりはないが、その前に 「 道徳 」 とか 「 誠意 」 とか 「 思いやり 」 というものが、大切にされる社会でありたいと願う。


また、武士道に代表されるような 「 義 」 の精神が日本にはある。

杓子定規なことしか言えない輩には理解し難いだろうが、ちょいとルールを破ってでも、困っている人や、弱っている人を助けてやりたい場合もある。

中東の某国で悪徳独裁者が民衆を苦しめ、利権のある者が横暴を振るう。

そんなとき、理屈の通じない相手を前にして 「 法 」 は無力で、実際には、あまり誉められたやり方ではないが、より強力な 「 武力 」 がものをいう。

それを咎めるのも間違ってはいないが、糾弾を恐れて 「 義 」 の心を捨てると、戦争で失う以上の人命が危険に晒され、「 法 」 はただ見守るだけだ。


平和主義か、武闘派かは別として、杉原 氏 は 「 サムライ 」 である。

どこぞの 「 憲法を遵守して、戦争には反対しましょうよ 」 みたいな無機質のデモを、アホの一つ覚えのように繰り返す連中とは、わけがちがう。

目の前で誰かが死ぬとか、隣国の脅威がすぐそばに迫っているというときに、「 憲法改正反対 」 とか、「 戦争反対 」 と連呼しても、何の意味も無い。

私自身は正直なところ、「 憲法 」 が改正されようと、されまいと、どっちでもいいと思っている。

ただ、同朋が殺されたり、同盟国が危機に瀕したときに、多くの日本人が 「 法 」 よりも 「 義 」 を選ぶことを、望むばかりである。


( 本日のおさらい )

「 今の憲法じゃ、“ 見殺し ” にされるかもね 」






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