「 民衆の声は神の声である 」
古代ローマの格言
The voice of the people is the voice of God.
LATIN PROVERB
まさしく、その通りである。
政治の本質的な部分は、昔から何も変わっていない。
ブッシュが勝った ( 予想通りに ) 途端に、人格破綻者による負け惜しみのような悪口と、ついでに小泉批判 ( 予想通りに ) が始まった。
あまりにも先が読めているので 「 もう、うんざり 」 という感じだが、言いたくてしょうがない連中には、一種の 「 祭り 」 みたいなもんだろう。
こういう輩の特徴は、くどくどと難解で高尚な能書きを、さも論理的な解説のごとく書き連ねても、最後には結局 「 ボロ 」 が出る点である。
政治がどうこう、戦争が、国際情勢がどうこうと語りながら、文章の最後は 「 だからアメリカ人は馬鹿 」 といった、子供の口喧嘩で結ばれてしまう。
何か参考になる情報でもあるのかしらと思えば、やっぱり今回も、読者は 「 個人的な憂さ晴らし 」 に付き合わされるのね。。。といった感じだろう。
どの候補者なり政党を支持しようが、それは勝手である。
対立候補の悪口を並べ立てるのも、気に入らない政党に罵声を浴びせるのも、それは個人の自由だし、好きにやればいいことだ。
ただし、自分と意見が異なるからといって、「 アメリカ人は馬鹿だ 」 だとか、大衆を軽んじた発言をする人間は、それこそが愚か者である。
以前、支持政党ではないが、ネット上にコラムを寄せる 「 某市会議員氏 」 の日記を愛読しており、お気に入りに追加していた。
しかし、ある日の記述で、過半数が自民党を支持することに触れ 「 日本人は馬鹿だ 」 という記述をされた途端に、底の浅い人間だと気づいた。
日本人が馬鹿だろうと、アメリカ人が馬鹿だろうと、日本は日本人のため、アメリカはアメリカ人のために、大衆が満足を得る政治に励むべきだ。
無論それは、世界から孤立した利己主義に固まったものではなく、国民として、世界市民として、施策が高い水準にあることも必須条件となる。
しかしながら、それ以前に 「 大衆が選んだ判断 」 を真摯に受け止められる度量の無い者は、政治を語る資格などない。
それを軽んじ、粗末に扱うことは 「 天にツバ吐く行為 」 であり、大衆の利害を無視して自己主張に走る者が、一体、どこを目指すというのか。
プロでも、アマチュアでも、「 国民は馬鹿 」、「 大衆は愚か者 」 などと言う人間の意見には、まともに耳を貸さないほうが良いだろう。
それに、「 ブッシュが勝った 」 とはいっても僅差である。
この結果を参照して、「 ブッシュを支持する 」 という民意なのか、「 ケリーを支持しない 」 という民意なのかを判定するのも難しい。
ただ、五分五分という結果から、現職のブッシュ氏に対する平均的な国民感情は、「 さほど悪い印象ばかりでもない 」 ということが言えるだろう。
伝統的にアメリカ人は、資質として 「 強い大統領を望む 」 傾向にある。
今回の両候補とも、その面では及第点に達しており、対テロ政策で強硬論を打ち出しているところなど、どちらも 「 似たりよったり 」 であったようだ。
個人的にはブッシュ氏支持だったが、もちろん、気に入らない点もある。
イラク統治、派兵には賛成だが、「 正義の軍隊 」 などと名乗るのはおこがましいと思うし、なにやら聖戦めいた発言が多いのも不服だ。
戦争に 「 正しい戦争 」 なぞあり得ないわけで、「 正しいから 」 戦争を肯定しているのではなく、「 他に方法がない 」 という理由で認めているだけだ。
このように、「 ブッシュ支持 」 といっても色々な意見があるわけで、それを一まとめにして 「 馬鹿 」 と片付けるのは、あまりにも短絡すぎる。
いづれにせよ、これからの四年間、ブッシュ氏には 「 選ばれた責任 」 を、民衆は 「 選んだ責任 」 を果たすため、おおいに頑張ってもらいたい。
( 本日のおさらい )
「 日本人は馬鹿よねー・・・って言うお前は、何人だ? 」
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