Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年10月30日(土) 命を人質にしているのは、テロリストだけではない


「 私を破滅させないものが、私を強くする 」

                   フリードリヒ・ニーチェ ( 哲学者、詩人 )

What does not destroy me, makes me strong.

                         FRIEDRICH NIETZSCHE



映画や小説では、「 破滅的な生き方 」 を美学として描かれることもある。

そんな ヒーロー は危機に瀕しても、「 助けて 」 などと泣き言を吐かない。


ビルの屋上、手摺の向こう側に一人の男が立っている。

靴が揃えられ、その中には 「 遺書 」 と書かれた封筒が入っている。

そこへ駆けつけた警察官が、「 早まるなっ、馬鹿なことはやめろっ 」 と叫びながら近づくと、男は大声で 「 近づくな、近づくと飛び降りるぞ 」 と返す。

そんなやり取りをしながら、いつのまにか警察官は男の背後まで近づいて、小刻みに体を震わせている男の背中を、「 ちょん 」 と指でつつく。

「 わっ、危ないじゃないかっ! 死んだらどうするんだよっ! 」 と男が叫ぶ。


それは、使い古された 「 コント の ネタ 」 である。

変形バージョンとして、男が 「 ほっといてくれよ 」 と叫ぶと、「 はい、わかりました 」 と答え、何事もないかのように掃除を始めるパターンもある。

この寸劇における 「 芝居どころ 」 は自殺を図る男の表情で、自分の行動を 「 手伝われる 」 のも、「 無視される 」 のにも嫌な反応をするところだ。

これは、「 自殺は忌み嫌われるもの 」 であり、「 他人は傍観せず、止めようとするもの 」 という概念が相互理解にあって、それを大前提としている。

だから、舞台上の登場人物が、それを裏切ったり、暗黙のルールに反した行動をとることで、自殺企図者は狼狽し、観客の笑いにつながる仕組みだ。


勝手に危険地帯へ侵入し、テロリストの人質になった青年もこれに似たもので、「 死 」 や 「 危機 」 に対して、微塵の覚悟もない。

政府の意思に逆らい、異議を唱えることを常としながらも、わが身に危険が及ぶと、目の敵にしている政府へ 「 救済 」 を求めてはばからない。

彼らにとって政府は、自ら選んだリスクを幇助する立場でも、傍観する立場でもなく、「 助けるのが当たり前 」 という認識をしているらしい。

役人が奔走し、多額の公金を用いて助けたところで、命拾いした彼らが国に感謝するとは思えず、「 対応が遅い 」 などと文句を言うのがオチだろう。

それでも、国は彼らを見捨てないのだから、日本という国がいかに寛容で、愚か者や狂人にとっての 「 パラダイス 」 であるかは周知の事実である。


目立ちたがり屋の彼らや、自殺企図者にとって 「 自己の生命 」 というものは、ある意味 「 交渉の道具 」 として用いられている。

そういう意味では、テロリストに捕らえられなくとも、彼らは自分の生命を 「 人質 」 として、常に他人と交渉する習慣がついているのだ。

他人の関心を惹きたくて、「 かまってくれなきゃ死んじゃうぞ 」 と脅しているのだから、拉致されようがされまいが、結局は同じである。

共通しているのは、「 他人に殺されるのは嫌だ 」 というところで、自己犠牲の精神など微塵もなく、実際のところはものすごく往生際が悪い。

彼らにとって 「 自分の生命 」 は 「 大事な商売道具 」 なのであって、自分が粗末に扱うことは平気だが、他人に蹂躙されるのは許せないのである。


自殺することの罪悪など 「 屁 」 とも思っていない輩が、新潟の被災者に対する政府の救済措置に文句をつけたり、しきりに生命の尊さを説く。

一見、矛盾だらけに思える話だが、「 生命は、誰のものであっても尊い 」 という認識ではなく、単なる 「 自分の財産 」 と考えるのが彼らの特徴だ。

うんざりする世の中に別れを告げたいと思う一方で、「 自分だけが優遇される楽しい世界なら、生き続けていたい 」 という想いは、人一倍強い。

だから彼らは、地震が起きても、誰かが拉致されても、常に 「 明日は我が身に忍び寄るかもしれない危惧 」 を憂い、対策を政府に要求する。

本当に死ぬ覚悟があるなら、ぐだぐだと泣き言を並べて他人の関心を惹くことなどせず、さっさと人知れず死んでいるはずである。


他人の痛みが理解できて、エゴや、わがままではなく、誰もが等しく健康で豊かな生活を過ごす機会を望む人間と、彼らは本質的に異なる。

当然、愚か者であっても救済する姿勢を忘れてはならないが、過度の思いやりは 「 馬鹿を増長させ、思い上がらせる 」 結果にもつながる。

生還したあかつきには、同調する左翼系メディアの視聴率稼ぎに利用させず、「 騒乱罪 」 を適用して刑務所に入れることが望ましい。

実際、それでなくとも新潟の地震で役所がてんやわんやしているご時世で、馬鹿一人が及ぼした 「 迷惑 」 は、計り知れないものである。

相当な 「 お灸 」 をすえることが、「 馬鹿再発 」 を予防するうえでは最善手であり、テロ被害に対する認識を深めることにも結びつくだろう。

( 本日のおさらい )

「 自分の命を粗末にする馬鹿に、命の尊さを語る資格などない 」






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