Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年10月24日(日) 汚れ役に依存する日本


「 ハニー、かわすのを忘れちまったんだ 」

                    ジャック・デンプシー ( プロボクサー )

       〜 1926年、ジーン・タニー戦に負けたあと、妻にむかって 〜

Honey, I forgot to duck.

                              JACK DEMPSEY



ボクシングにかぎらず格闘技の基本は、「 攻撃 」 と 「 防御 」 にある。

どちらか一方でも欠けているようでは、まともな試合が期待できない。


また、「 攻撃は最大の防御 」 という言葉もよく使われる。

この意は、「 こちらの攻撃力を示すことで相手の警戒心を促し、むやみに攻撃を仕掛けられないようにすべし 」 という戦法の極意である。

大国が 「 戦争の抑止力 」 として 「 核兵器 」 を保有している論理もこれに通じており、現在の世界平和はこのような危い均衡の上に成り立っている。

それが 「 良いことか、悪いことか 」 はさておき、紛れも無い事実である。

またそれは、日本のように 「 核を保有しない国 」 にとって、自力で防衛する手段の妨げとなっていることも、自明の理といえるだろう。


日本の防衛システムは、ご存知の通り 「 専守防衛 」 である。

相手が明らかに戦意をもって攻撃してきた際にかぎり、迎撃することが可能となっており、それまでは 「 威嚇 」 も 「 攻撃 」 もできない。

たとえば、北朝鮮からミサイルが飛んできたとしても、それが領空内にまで侵入し、これが人命に危害を加えると確認されないかぎり、何もできない。

以前、「 テポドン 」 とおぼしき飛行物体が日本列島を縦断し、太平洋に着水した事件が大騒動となったが、あれが着弾していたとしても同じことだ。

結局、レーダーで航跡を追う以外に、できることは何もないのである。


一見、平和的にもみえる 「 専守防衛 」 という仕組みには、実は根本的な欠陥と、現代戦においての矛盾がある。

まず第一に、「 第一波の攻撃を受けたあとでも、戦力が維持されている 」 という大前提のうえに立った発想であるという問題だ。

最初の一撃により首都が崩壊させられ、反撃能力を失ってしまった後では 「 やられたら、やりかえせ 」 という概念自体、まるで意味を成さなくなる。

つまりは、「 やったもん勝ち 」 の先手必勝という構造である。

それを防ぐには、「 同盟国による報復 」 という切り札を使わざるを得ないわけで、日本が防衛面でアメリカと連携している理由は、その点が大きい。


最近は自衛隊の装備も発達し、イージス艦やら、レーダー網の配備によって、早期に索敵する技術も高まってはきている。

それを活用し、飛来するミサイルを自衛隊が 「 直前で撃ち落せばよい 」 と考える人も多いようだが、それには二つの障害がある。

まず、最近のミサイルというのは命中精度が高く、一度 「 ロックオン 」 されてしまえば、ほとんど目標を外すということが考えられない。

同時に数発のミサイルが襲ってきた場合、すべてを確実に迎撃する術は皆無であり、事実上、攻撃を無傷でかわすことは不可能である。

また、仮にそれが 「 可能 」 であったとしても、「 専守 」 という二番目の理由で、被害を受ける前に迎撃する法整備が、日本には敷かれていない。


そのような理由から 「 日本の平和は、同盟国への依存なくしては成立しない 」 ことが明らかなので、アメリカとの連携が不可欠となっている。

第二次大戦直後から東西冷戦終結後までの間、日本国内にアメリカ軍の基地が配備された理由は 「 反共の防波堤 」 という側面も大きかった。

しかし現在は、対アジア、中東方面への補給基地という役割と、「 日本の防衛 」 という意味合いが強く、少なからず日本は恩恵を受けている。

これを全面的に撤廃しようすれば、日本は軍備を高め、専守防衛を見直すための 「 抜本的な法律の見直し 」 が必要となるが、当然、反対は多い。

つまりは、アメリカに 「 汚れ役 」 をさせておいて、「 日本は平和憲法を遵守する優等生 」 を名乗っているのが、客観的にみた民意の実情である。


結論としては、「 日本が憲法9条を固持するには、米軍基地が不可欠 」 という事実から目を背けることはできないのである。

だから、「 憲法は変えない、米軍は出て行け 」 という論理には 「 国が滅ぶ危険 」 が孕んでおり、実現できる可能性は少なく、するべきでもない。

では、どうするのか・・・

日本は先の大戦によるトラウマから脱し、いつまでもアメリカに頼るばかりでなく、そろそろ 「 自主防衛 」 に目を向けるべきではないだろうか。

ミサイルに滅ぼされるのも嫌だが、他国の用心棒に頼るのではなく、やはり 「 守るべき国家 」 を自分たちで守る姿勢が望ましいように思う。


有事法制をはじめ 「 自力による現実的な防衛手段 」 を高めながら、段階的に米軍基地は縮小していくことが妥当であろう。

国内に展開する米軍の基地数、兵力数は、たしかに多すぎる。

有事の際に連携をするにしても、いまのままでは指揮権、決定権などの面で日本が 「 イニシアティブ 」 を執るには心もとない。

もちろん、世界から戦争がなくなり、核などの大量殺戮兵器が根絶されれば何の心配もないし、その必要もなくなるだろう。

ただ、そのためにはアメリカが今以上に 「 汚れ役 」 を務めなければならないのは明白で、それを許さない人間が多くいる以上、可能性は少ない。


( 本日のおさらい )

「 アメリカに “ 汚れ役 ” をさせておいて、平和国家もクソもない 」






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