2004年10月21日(木) |
シンプル・イズ・ベスト |
「 私はね、男性にとって鳥以上の重たい存在になりたくなかったの 」
ココ・シャネル ( シャネル創業者 )
I never wanted to weigh more heavily on a man than a bird.
COCO CHANEL
記者が 「 恋人の誰とも結婚しなかったのは何故か 」 と尋ねたときのこと。
彼女はさらりと、冒頭の台詞を吐いたそうである。
最近のSF映画や、アクション映画の一部には、厄介な傾向がある。
本来なら、その手の映画は 「 単純明快 」 が信条だったはずなのに、物語の展開に凝りすぎて、なんとも 「 わかりづらい 」 作品が多いのだ。
たとえば、キアヌ・リーブス主演作の 『 マトリックス 』 という映画にいたっては、続編が公開される度に、ますます難解さが深まるばかりである。
完結編とされる 『 マトリックス・レボリューションズ ( 2003 米 ) 』 も観たが、どうにも複雑すぎて、まったく自分の頭の中では 「 完結 」 していない。
歳をとって脳が硬化してしまったのか、私のようなオジサンには意味不明なところが多く、もうちょっと話を簡単にしてもらいたいものである。
男女の恋愛にも、似たような部分がある。
特定の異性に魅力を感じ、触れたい、抱きしめたいという性的な衝動から始まる恋は、ごく自然な人間感情の現れとも言えるだろう。
けれども、自分の好意を告げるには 「 段階と手続き 」 という概念が存在し、なんとなくそこに 「 必然性 」 や 「 正当性 」 を求めたがる傾向にある。
つまり、「 私は、こういう事情で貴方を好きになりました 」 だとか、「 こういうお付き合いを考えています 」 とか、面倒な解説を必要とされやすい。
そういった 「 プレゼンテーション 」 も、恋の愉しみの一部ではあるけれど、論拠を明確にしようとすればするほど、難解な淵へと陥ることが多い。
中には、「 理屈は抜きで、ストレートに激情をぶつけてくれるほうがいい 」 という人もいるが、それにも最低限の 「 段階と手続き 」 は要る。
たとえ喉が渇いていなくても、深く知り合うまでは 「 ちょっと、その辺でお茶でも・・・ 」 と誘うのが、正しいアプローチの手法といえよう。
それが本音でも、「 ちょっと、その辺でセックスでも・・・ 」 とは言えない。
もちろん、「 お茶 」 から “ そこ ” までのプロセスが、更に愛情を深めることも事実だし、ちょっとした 「 じれったさ 」 も、恋の醍醐味ではある。
ただ、お互いに大事な存在であることを知らしめ、「 鳥以上の重量感 」 を相手に与えようとすれば、それが面倒な作業になることも多いだろう。
30代には 「 けして、苦ではなかった 」 それら一連の作業が、どうも最近は面倒に思えてならず、ちょっと敬遠ぎみである。
いい歳をしたオジサンが 「 純愛 」 を語るほど 「 こっ恥ずかしい 」 ものはないし、どう贔屓目に見ても、美しいとは思えない。
妙齢のご夫人方が 『 冬のソナタ 』 にハマるのも、同世代の男性や、既婚者の場合は伴侶に対し、そんな場面を期待できない要因もあるだろう。
また、実際にはそうでもないのだろうが、歳をとると 「 恋する相手に対する責任が重い 」 ような気がして、なかなか本音が吐きづらくなってくる。
それで、素直な恋愛感情よりも、「 この恋の必然性、正当性 」 みたいなものを大義名分化しようとして、つまんない台詞しか吐けない自分に気づく。
先日、疲れた顔で地下鉄に乗っていたら、30代前半ぐらいのキレイな女性が、ふとこちらを見て、会釈しながら近づいてきた。
どこかで見た顔だと思ったら、3年ほど前によく通っていた飲食店に勤めていた女性で、いまは某企業の事務職に就いているのだと言う。
当時の話をするうちに、「 お茶でも・・・ 」 ということになった。
次のアポまで時間もあったし、安易な気持ちで誘ったのだが、記憶を辿っていくうちに、ちょっと 「 具合の悪い話 」 を思い出してしまった。
この女性は 「 酔った拍子に口説いた上、しかも素っ気無くフラれた 」 相手であることを、すっかり忘れていたのだ。
気まずい空気を察したのか、彼女のほうから近況やら、仕事の内容などを積極的に話してくれ、こちらの近況についても興味深く尋ねてくれた。
やがて、おそるおそる過去の件について触れると、こちらは 「 酔った拍子 」 であったにも関わらず、その内容はかなり 「 理屈っぽかった 」 らしい。
日々の日記をご覧の方もご存知のように、私の物言いは 「 理屈っぽい 」 可能性が高く、その点を指摘されると否定できないものがある。
結局、こちらは言葉巧みに口説こうとしたのだけど、相手にはその意志などまったく伝わってなくて、「 何がしたいのかわからなかった 」 そうである。
恋愛に大きな意味を持たせようと、陳腐な言葉を並べ立てた挙句が、話が複雑になりすぎて 「 マトリックス化 」 してしまったようだ。
その後、短い期間で何度か会っているが、お互いにいまは 「 フリー 」 なので、たぶんそれは 「 デート 」 と呼べるものだろう。
この一週間、日記の更新が出来なかった最大の理由が、そこにあることも事実で、かなり急速に仲良くなっている。
どこまでの関係かは語らないが、今回は難しい口説き方はしていない。
ただ、「 僕らにはお互いをもっと知る必要があり、その方法は “ 言葉 ” が最良の手段とはかぎらない 」 という話をしただけだ。
いまは、それが 「 鳥以上 」 かどうかは後から考えることで、先に気にしすぎても仕方がないような気がしている。
( 本日のおさらい )
「 単純な話をもったいぶって複雑化することは、愚の骨頂である 」
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