「 死とは、ピクニックのとき、遠くに聞こえる稲妻の音 」
W・H・オーデン ( 作家 )
Death is the sound of distant thunder at a picnic.
W・H・AUDEN
予告なく、日記をご無沙汰してしまったが、これには理由がある。
メールや掲示板に返信できなかったのも同様で、ご容赦を願いたい。
実は 「 突発的な事情 」 で、海外に飛んでいたのである。
旧知の友人が、異国の地で急逝した。
普段はあまり 「 死 」 というものを直視する機会もなく、なんとはなく平穏な日々を過ごしているのだが、それは常に身近なところで影をひそめている。
同期会の大半は既婚の勤め人で、急には動けない状況にあるため、自営の者が連れ立って、総勢6名の短い旅となった。
日頃の行いが良いのか悪いのか、相次ぐ台風の間隙を縫うように、揺れる機体は東へ向かったのである。
目的地に着くまでは、誰も悲しそうな顔は見せず、むしろ不謹慎なほどに、お互いの老け込みようを茶化しあったり、世間話、バカ話を続けた。
この歳になれば、そりゃあ、死ぬ奴だっているさと、ちっとも不思議な話ではないように、誰を納得させるでもなく、そんな台詞を繰り返していた。
我々の到着を待っていたのは、かつては我々と同じように動いていた 「 屍 」 と、顔見知りの奥さん、子供たちである。
奥さんから訃報を受け取るまで、奴が長患いをしていたとは知らなかったが、家族は既に覚悟ができていたようで、取り乱した様子はない。
遺体をエンバーミング ( 防腐処理 ) して日本へ搬送する方法もあったのだが、故人の遺志により、葬儀は現地で行われることとなった。
単身赴任ではなく、家族も含めた生活の基盤が現地にあるので、一度日本に帰ってから、家族はまた現地に戻るらしい。
その後のことはわからないそうだが、おそらく子供の学校関係がキリのよいところで、また日本に戻ってくるのだろう。
私と同じく 「 宗教に関心のない人間 」 だったので、葬儀等は面倒くさい話がなくてよいが、当然、遺骨は日本の墓に埋められることになる。
たまに、「 太平洋に散骨する 」 なんてカッコいい最期を望む人もいるらしいが、後に残される者の 「 墓参り 」 も考えないわけにはなるまい。
冷たい石の下で、おとなしくしてもらうのが一番のようだ。
40代に入ってから、仲間がぽつぽつと消えていく。
もちろん、生きている人間のほうが圧倒的に多いが、「 人が死ぬ 」 という強烈なインパクトの前では、生きている人間の変化など、些細な事柄だ。
小学校から大学、あるいは社会人時代まで、それぞれの仲間と連絡を取り合い、友達を大事にすることは、とても有意義で楽しい。
しかしそれは、仲間の訃報を如実に知る手掛かりにもなるため、今回のように、悲しいニュースもつぶさに耳に入る仕組みとなっている。
自分が死んだとき 「 誰も知らない 」 というのも虚しい話だが、懐かしい顔が勢ぞろいすると思えば、惨めな最期を避けねばならぬ責任も発生する。
結果主義の世の中で、「 一生懸命 」 なんて言葉は死語になりつつある。
しかしながら、若くして世を去った仲間の大部分は、仕事にも、闘病にも、「 一生懸命 」 に頑張った連中であった。
それを、他の言葉で言い表すことは難しく、すぐには思いつかない。
だから私も、「 Oldsoldier ( 老兵 ) 」 のペンネームに相応しく、最期まで一生懸命に、人生を楽しみ、かつ闘っていきたいと思う。
ただ、「 老後はフロリダのキーウエストで 」 という自分の野心が、数名の友達のフトコロを痛めるだろうなという心配が、少し頭をかすめた。
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