2004年08月29日(日) |
ボーダーーレスな時代の共通語 |
たまに、「 最近は横文字が多くて、ついていけないよ 」 という人がいる。
たしかに、昔に比べると 「 横文字 」 が会話に登場する場面は多いだろう。
中には 「 日本語でいいじゃないか 」 と思える語句もあり、英語に言い換える意図が明確でなく、簡単な話を複雑に誤魔化しているケースも目立つ。
野党候補が 「 国民のベネフィットをプライオリティナンバーワンに考えるのが、今回のマニフェストのメインポリシーです 」 なんてことを言う。
それを 「 国民の利益を優先順位の筆頭に掲げることが、わが政党による公約の骨子です 」 と日本語で言っても、まったく意味は同じである。
外国人を相手に語るならまだしも、田舎の爺さん、婆さんらにまで横文字を連呼するのは、話をややこしくするだけの愚行であろう。
そこには、「 中身が薄くて底が浅い 」 ことを誤魔化すために、せめて表現方法だけでも難解にしちゃえという魂胆も、微妙に見え隠れしているようだ。
とはいえ、これからの 「 新しい日本語 」、あるいは外来語と呼ばれる言葉の文化に、横文字が増えていくことは確実である。
ジェット旅客機が行き来し、地球は昔より 「 狭く 」 なった。
欧米的な 「 英語は世界の共通語 」 という考え方には異論もあるが、国際交流の狭間において 「 共通語 」 の必要な場面が多くなったことも事実だ。
言葉のすべてが、それぞれの国の言語に正しく翻訳されるとはかぎらず、たとえば、日本語の 「 義理 」 なんて言葉を英語に訳すのは難しい。
このような、それぞれの国や地域によって異なる 「 倫理観 」 や、精神的な感覚、人情の機微などは、言語が変われば捉え方も違ってくる。
近頃、スーパーや百貨店、商店、ホテルやレストランなどの店頭で、「 当社は 『 ISO 14001 』 を取得しました 」 などというポスターをよく見かける。
この 『 ISO 』 というのは、国際標準化機構 ( International Organization for Standardization ) の略称である。
本部はスイスのジュネーブにあり、「 民間自身が、民間のために民間規格を作る機関 」 として、1947年に設立されたものだ。
各国の代表的標準化機関から成る国際機関で、通産省の工業技術院内に設置されている 「 日本工業標準調査会 ( JISC ) 」 が、それにあたる。
設立の主目的は、「 商品とサービスの、国際的な規格の標準化 」 にある。
各国には、商品やサービスに関する、それぞれの 「 国家規格 」 がある。
1995 ( 平成7 ) 年には、WTO ( 世界貿易機関 ) から、WBT/TBT協定( 貿易の技術的障害に関する協定 )が発効された。、
これによると、WTO加盟国が国家規格 ( たとえば日本では JIS ) を制定する際には、ISOなどの国際規格を基礎とすることとされている。
それぞれの国の 「 国家規格 」 を ISO などの 「 国際規格 」 に整合化させることは、規格の 「 標準化 」 につながる。
規格が標準化することは、貿易障壁を排除した 「 フェアな貿易システム 」 に寄与することとなるので、国際交流には欠かせない制度なのである。
たとえば ISO の中で 『 ISO 9001 』 は、「 品質マネジメントの国際規格 」 として、製造業、サービス業などに幅広く浸透している。
また 『 ISO 14001 』 では、「 環境マネジメントシステムを規定した国際規格 」 が定められており、この規格はあらゆる業種に適用可能である。
このように、「 商品 」 とか 「 サービス 」 とか 「 環境 」 に対して、国際的に標準化された規格を定めるにあたっては、「 共通語 」 も必要となる。
日本人しか理解できないような、たとえば 「 真面目にやる 」 とか 「 ほんのり甘い 」 なんていう形容では、意味が正しく伝わらない危険も多い。
そこで、規格を定めるにあたって使用される言語も 「 比較的、世界中に浸透しているであろう英語 」 による表現が多くなっているのである。
たとえば、「 コンプライアンス [ compliance ] 」 なんて言葉が、最近は流行語のように使われ始めたが、これも ISO に端を発している。
これは 「 〜を遵守する 」 という英語表現だが、日本語でいう 「 守る 」 とか 「 履行する 」 という表現では、意味合いが間違って伝わる可能性もある。
言葉というのは、できるだけ短い語句で 「 正確に、まっすぐに届く 」 ことが重要なので、何人にも同じ理解を与えるためには 「 共通語 」 が要る。
そんなわけで、横文字文化が氾濫してきた背景は、「 日本の欧米化 」 というよりも、「 世界のボーダーレス化 」 の影響が大きいと思われる。
ただし、むやみやたらに濫用するのではなく、日本独自の言葉の文化というものも大切にしていくことが望ましく、正しい姿であることは間違いない。
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