金メダル確実と思われた野球だが、日本は 「 銅 」 に甘んじた。
負けることもあるのはスポーツの常だが、なんとも悔いの残る結果だ。
五輪では 「 参加することに意義がある 」 という言葉がよく使われるが、あくまでもこれは 「 アマチュアの場合 」 の話と考えたほうがよいだろう。
勝つこと、結果をだすことに価値を求められるプロの場合は、参加しました、頑張りましたというだけでは、ファンも納得しないはずだ。
もしも、日本にプロ野球というものが無いとして、全国のアマチュアを集め、そのチームが大リーグのオールスターに勝ったら、どうなるだろう。
世界中に、「 大リーグ自体の威信 」 を失墜させる可能性が高い。
これと同様で、今回の敗北は 「 日本プロ野球の水準 」 というものに対する評価が疑われる、五輪とは別の問題まで話が発展しそうだ。
日本は、全員がプロ選手という 「 ドリームチーム 」 を結成し、五輪野球での金メダル奪取を至上命題として臨んだ。
もちろん、他にも台湾など、プロ・リーグのある国も参戦したが、日本の球界とは歴史も、過去の実績も、全体的な水準も異なるはずだ。
だからといって侮ってよい相手ではないが、彼らにとっては、野球先進国の日本が、全員をプロ選手で揃えてきたというのは、相当な脅威である。
そんな 「 大人が子供相手に本気を出す 」 ような設定の中で、頂点に達することなく負けてしまったのだから、情けないことは否定できまい。
こんなことなら、アマチュア選手に世界の舞台を経験させておいたほうが、よほど育成のためになったし、日本プロ野球の面目も潰れずにすんだ。
厳しいようだが、これが 「 プロ 」 と 「 アマ 」 の差である。
スポーツにかぎらず、結果のみが評価され、そこに至る努力は評価されないというのが 「 プロ 」 の世界であり、宿命でもある。
銅メダル ( 3位 ) を素直に評価できないのは、それが 金メダル ( 一位 ) へのプロセスという見方からもきているだろう。
負けた理由を探せば、いくらでも 「 言い訳 」 は考えつくだろうが、それは 「 無用の分析 」 であり、空虚で意味の無いことだ。
金メダルの 「 国別総獲得数 」 も重要だが、この恥辱はリスクが大きすぎたように思うので、次回からはアマチュアで挑んだほうが望ましいだろう。
私が、日本の銀行を 「 経済を悪くした諸悪の根源 」 と責めるのも、彼らが市場経済の中で 「 主導的なプロ 」 の役割をつとめているからだ。
銀行の勧めるままに無謀な貸し出しを受けた企業も悪いし、監督官庁にも罪がないわけではない。
しかしながら、金融の司令塔であるべき銀行が、その地位に相応しい見識と洞察力、将来への先見性を持っていたならば、結果は違っていた。
それにも増して、日本の銀行、あるいは銀行員の多くは、明らかに 「 倫理観が欠如 」 しているようだ。
ここまで内容を悪化させたうえでなお、いまだに政府の行政指導に対して 「 過剰検査 」 だの、「 内政干渉 」 だの、戯言を述べる者がいる。
たしかに、始終つきまとわれ、検査、監査を繰り返されれば、やりにくい面も多いだろうとは思う。
しかし、忘れてはならないことは、彼らはすでに 「 プロとして結果を出せなかった 」、あるいは 「 最悪の結果を出した 」 ことである。
誰も経済を悪くしようと考える者はいないだろうし、彼らもそれなりに努力したことは認めるが、結果は 「 惨敗 」 に終わったのだ。
しかもその 「 負け方 」 は、内容がずさんで、利己的で、国民全体の利益に寄与するという倫理観からは、遠くかけ離れたものである。
これでは、「 箸の上げ下げ 」 まで徹底的に監視されても、文句は言えないわけで、安心して任せられる要素など一つもないのが実情だ。
日本の銀行筋は、「 プロとして最悪の面 」 が浮き出しになっている。
つまりそれは、プロとしての 「 権威主義 」 に陥り、「 素人に何がわかるってんだよ 」 と、驕りたかぶっているところだ。
たしかに、竹中大臣をはじめとし、監督官庁の面々も、ましてや一般大衆は銀行ほど、「 金融のプロ 」 ではないことも事実だ。
しかしながら、五輪野球にせよ、市場経済にせよ、「 プロに対する評価 」 を下すのは我々 「 アマチュア 」 であり、一般大衆なのだ。
まして、それぞれの生活に影響を与える事柄ともなれば、たとえプロに対しても 「 物言い 」 をつけるのは当然で、その点を誤解してはならない。
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