2004年08月25日(水) |
自業自得でございます |
どうも世の中には、物事の本質を見抜けない人がいるようだ。
あるいは、都合よく 「 見抜けないフリ 」 をしているだけかもしれないが。
英語のことわざに、「 As you sow, so shall you reap 」 というものがある。
同じ意味を表す表現で 「 You reap what you sow 」 という言い方もされるが、「 自分でまいた種は、自分で刈り取ることになる 」 と訳される。
つまりは、日本のことわざにある 「 因果応報 」 とか、「 自業自得 」 と同じ教訓を含んだ言葉として、解釈してよいだろう。
他に、「 It serves you right 」 といった 「 当然の報いである 」 という英語表現も、慣用的によく使われる。
洋の東西を問わず、「 物事の責任は、当事者がとるのが当たり前 」 という考え方は一致しており、万国共通の倫理観といって差し支えないだろう。
ダイエーが産業再生機構の活用などの策によって、経営の再建を迫られていることは、各種報道によってご存知の方も多いだろう。
これを、まるで 「 竹中、小泉の陰謀 」 のようだなどと、馬鹿げた論理を振りかざし、政府に非難を浴びせる輩がいる。
まぁ、「 偏狭的思想の人 」 の話なので、マトモに耳を傾ける必要もないのだが、本末転倒も甚だしいとはこのことである。
これらはすべて、ダイエーという企業が、シェアを奪い合うことに躍起になるあまり、種々の安全策が疎かになった 「 経営の失敗 」 によるものだ。
膨大な負債を抱え、浮沈の危機にあるのは、誰のせいでもない 「 経営陣と主力銀行の不始末 」 にほかならない。
仮に、大勢の従業員が解雇され、路頭に迷い、あるいは一部の自殺者が出たとしても、それが 「 竹中、小泉は人殺し 」 という論理には達し得ない。
その責任は、経営を危機的な状況まで悪化させた旧経営陣や主力銀行にあり、恨み言をぶつける矛先が必要ならば、彼らに向けられるべきである。
企業の社会的責任以外に、従業員の生活云々という話に至っては、生活の糧をそこへ求めた 「 従業員自身の選択ミス 」 もあるだろう。
いづれにせよ、政府筋としては 「 現時点よりも、問題が悪化しないように 」 手を打とうとしているだけの話で、悪事の張本人であるはずがない。
それは、瀕死の重病人が救急病院に運び込まれ、誠意を尽くして蘇生させようとした医者に、「 お前が人殺しか 」 と詰るようなものである。
こういう連中は、イラク問題しかり、北朝鮮問題しかり、「 誰が悪者なのか、ハッキリしている 」 ことで、筋違いの 「 逆恨み 」 を展開する。
どちらかというと、悪事そのものには言及せず、後始末などの細かい部分に関する対応の仕方に対し、揚げ足をとりながら、グズグズと愚痴をいう。
大半は人格障害者なので、特有の 「 自分の思い通りにならない事柄は、すべて他人のせいにする 」 ところに思考が着地するような構造である。
同じ 「 他人のせい 」 にしても、自分が所属しない企業が悪者ではウサが晴れないので、結局、不幸の原因を無理やり 「 政府 」 にもっていく。
それでもって、「 嗚呼、こんな不幸な国に生まれてくるんじゃなかった 」 と、自分の力不足や無能ぶりから目をそむけ、社会を憂う筋書きだ。
ストレスの解消手段は人それぞれで、酒を飲んではクダをまく人もいれば、甲子園で巨人の選手に野次を飛ばす人もいる。
合法的で、他人に迷惑を及ぼさなければ何をしても構わないようなものだから、別に、政府の悪口、陰口を叩いてウサを晴らしても咎められない。
しかしながら、そのようなことばかりを続けているうち、しまいには 「 物事の善悪 」 であるとか、「 何が諸悪の根源なのか 」 がわからなくなってくる。
また、たいていの人間は労苦を伴う仕事で糧を得て、嫌なことも体験しながら、いづれはくる 「 死 」 に向かって、耐えながら生きるものである。
それを、「 ツライのはすべて、政府や社会のせい 」 として自分を納得させてしまうと、苦境から逃れ、自殺に対する罪悪感が失せてしまう危険が高い。
もちろん政府や議員の中にも不心得者や、無能な者はいるだろうが、各人の能力には関係なく、人格障害者にとって彼らは 「 悪 」 なのである。
その理由は、「 自分だけを特別扱いしてくれない悪い社会の牽引者 」 だからであり、彼らが何をしたか、どういう人格かは、あまり問題ではない。
それでストレスを解消することも、ネットという自由な発言の場で駄文を公開することも、彼らに許された権利なのであろう。
ただ、彼らの文章をみて、変に感化されたり、現実社会から逃避して自らの死を求める人間が出てくることは、避けたほうが社会のためである。
そういう 「 論理の矛盾した、政府への逆恨みサイト 」 は、まずマトモな神経の人間が書いてはいないということを、改めてご忠告申し上げたい。
しかしながら、そういう 「 不幸な人間 」 を世に多く輩出したことが、広義に考えれば、政府、社会の問題といえなくはない。
人格障害者の主張などは 「 狂者の戯言 」 に過ぎないが、その存在自体については、深く問題意識をもって考慮しなければならないだろう。
どうやら人格障害者の数は、増え続けているようだし、彼らにならう形で 「 楽な考えに走る人格障害的な発想 」 というものも、目立ち始めている。
なかでも、冒頭に挙げた 「 自業自得 」 とか、「 因果応報 」 という言葉の認識が、人格障害的な時代の波に、薄れている気がしてならない。
特に、将来の託された子供たちには、「 悪いことをしたら、国ではなく、自分が責任をとらなければならない 」 という基本を、学んでもらいたい。
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