2004年08月21日(土) |
戦争は日本を放棄するか |
一人で生きているつもりでも、他人との交わりを避けては通れない。
国政も同じように、「 外国なんてどうでもいい 」 というわけにはいかない。
憲法を改正する問題については、諸外国も敏感な反応を示すだろう。
とりわけ、「 平和憲法 」 の柱ともいうべき 「 第9条 」 に触れることは、先の大戦で被害を被ったとされる国々の反撥が、少なくはないはずだ。
もちろん、内政に関することでもあり、海外からの干渉を受けたり、過剰にその評価を気にする必要などない。
むろん、周辺諸国を中心とした世界情勢を見極め、「 世界の中の日本 」 であることを、忘れてはならないことも事実だ。
世界情勢が変われば、憲法も変わるのは自然な話で、数十年前の敗戦時に占領軍主導の下に制定された憲法が、現状に則しているとも言い難い。
戦後の日本が永らく平和を維持してこれたのは、はたして 「 憲法9条 」 のおかげだと言えるだろうか。
かといって、「 日米安保条約 」 が、すべてだとも思わない。
おそらくは、いずれが無くても、日本が積極的に 「 戦争に加担する 」 というようなことはなかっただろう。
世界中の誰よりも、日本人は 「 戦争には懲りている 」 わけで、痛みを知るこの国の民意が、軍国主義への回帰を阻んだはずである。
憲法改正は、安易に行われてもいけないが、所詮、「 紙に書かれた約束 」 なんかよりも、人々の良心、倫理観、平和への祈りのほうが重要だろう。
だから、憲法に手を加えたからといって、国策に大きな変化はないが、変えないと、「 世界情勢への的確な対応 」 と憲法の間に、矛盾が生じやすい。
冷静に考えて、世界の様子が目まぐるしく変化しているにも関わらず、現状の問題をクリアーするための方策がとられないほうがおかしい。
それは誰しもが理解しているはずで、にも関わらず、意固地に 「 護憲 」 を貫こうとするのは、およそ四種類の人間に集約される。
第一は、利害の関係から 「 護憲 」 を訴える連中だ。
たとえば野党の一部は、政権交代の機会を窺う道具にこれを悪用するし、第三国と通じている企業、団体などは、その手先として護憲派を煽動する。
第二は、戦争中に軍部の 「 御用機関 」 と成り下がり恥辱を舐めた、新聞を筆頭とするマスコミで、左傾化の強いところはなおさらである。
第三は、世界情勢に疎く、「 自分たちが非武装中立であれば、敵は襲ってこない 」 という神話を、かたくなに信じている人たちである。
第四は、人格障害者や、反政府主義者、狂人などの 「 社会に対し、マトモに適応できない人たち 」 で、未来の繁栄など望んではいないグループだ。
また、落ちぶれて自殺企図するような人間は、この国、この社会に未練などないのだから、「 皆、自分と同じように不幸になってしまえ 」 と考えやすい。
こういった、「 あまり未来を真剣に考えていない 」 か、「 世界を知らない 」 か、「 なにか魂胆がある 」 意見には、振り回されないほうが望ましい。
誤解を招かないように付け加えるが、けして、改憲することが唯一の正しい方法で、護憲が誤りであると言いたいわけではない。
世界情勢が変化しているにも関わらず、「 無条件に、問答無用で改憲には反対する 」 という姿勢があまりにも多いので、それが愚かだと思う次第だ。
これから先、自分や、愛する者のために国を存続させたいと思うのならば、改憲するかどうかは別としても、「 改正の余地 」 は考えて当然であろう。
この議論が紛糾するのは、平和主義を自認する護憲派の多くが、改憲派を 「 戦争がしたくてたまらない連中 」 だと決め付ける風潮にある。
実際には、好き好んで戦争を始めたい者など皆無に等しく、どうすれば世界の実勢に沿う形で日本の将来が成り立つのか、真剣に考えているはずだ。
私自身は、占領軍に押し付けられた現在の憲法を、「 世界に誇れる憲法 」 などと感じないが、過去において、それなりの役割を果たしたと認める。
占領下に公布された憲法に依存し続けることこそ、実は 「 アメリカの占領政策 」 から、いまだに脱皮できていない原因でもあるように思う。
非武装中立といえば聞こえは良いが、国防面での欠落した部分をアメリカに委ね、「 汚い仕事には、自分で手を染めない 」 だけのことではないか。
憲法がどう変わろうと、現在の日本に 「 他国に攻め入る 」 度胸も、悪意もなく、自衛と国際協力の強化にのみ注力することは、誰の目にも明らかだ。
いくら 「 日本が戦争を放棄 」 しても、「 戦争が日本を放棄する 」 とはかぎらず、今の憲法のままでは、「 日本人が日本を放棄する 」 ことになる。
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