このところ、周囲の人たちは皆、一様に睡眠不足である。
理由は、深夜に放送される 「 アテネ・オリンピックのテレビ観戦 」 である。
特に今回は、日本人選手の大活躍が光っており、現時点で日本の金メダル獲得数は3位、銀、銅を合わせた数でも6位という健闘ぶりを示している。
いくら 「 参加することに意義がある 」 とはいっても、参加した以上は、一つでも上の順位を目指すのが本分であり、誰しもが願うところだ。
柔道の井上選手など、メダルの期待が掛かっていて脱落した例やら、男子サッカーのように緒戦で敗退するケースもあったが、総体的には順調だ。
これから行われる競技でも、野球などメダルの期待が大きい種目が残っているので、しばらくは目が離せない状況が続くだろう。
すなわち、「 寝不足の状態 」 が改善されないということである。
前半戦を振り返ると、柔道におけるメダル獲得数が多かった。
彼らはよく頑張ったし、もちろん 「 ケチをつける 」 気などないが、日本のお家芸である柔道で、日本が強いのは自然の摂理でもあるように思う。
もし、「 剣道 」 が種目に加えられればダントツの強さで金が獲れるだろうし、「 流鏑馬 ( やぶさめ ) 」 なんかがあれば、敵はいないだろう。
どんな競技でも世界の頂点を極めるのは至難の業といえるが、体型や習慣などからみて 「 日本人が挑戦することの難易度 」 は、種目によって違う。
たしかに、メダルが多く獲れたことも喜ばしいが、「 日本人未踏の競技 」 に果敢に挑戦し、健闘した選手のほうが、私自身には興味が大きい。
そういう意味で、個人的には男子陸上100mの末続選手に期待していたのだが、予選敗退という結果については、とても残念な気持ちだ。
予選の模様をご覧になった方は気づかれたと思うが、末続を除いた走者はすべて黒人で、競技における 「 民族的な能力の限界 」 さえ感じてしまう。
そういった、遺伝など先天的な運動能力の違いからくる 「 絶望的な格差 」 を超越して、壁を破ろうと果敢に挑戦する姿は、柔道のそれとは違う。
メダルの重さに優劣をつけるわけではないが、日本人として苦手だったり、不利があると思われる競技のほうが、どうも応援に熱が入る。
自分が生きている間に、日本人が短距離界で世界の頂点を極めるところを、なんとか見たい気がするのは私だけだろうか。
逆に、野球の予選リーグで、日本が台湾を 「 サヨナラ勝ち 」 で下し、選手一同が狂喜乱舞している姿をみると、ちょっとシラけてしまった。
ご存知のように、今回の日本チームはプロ野球の精鋭を結集した 「 最強軍団 」 でメダルに挑んでいる。
たしかに台湾にもプロ・リーグがあって、侮ることはできないが、どうみても格下の相手に対し、辛勝したぐらいで大騒ぎするのはどうか。
むしろ、相手の健闘を称え、てこずった部分を反省するぐらいでないと、他の国から馬鹿にされてもしょうがない。
強いからといって慢心せず、挑戦者としての気持ちを持ち続けることも大事だが、王者にはそれに相応しい 「 風格 」 というものも必要な気がする。
よく、「 スポーツは勝つためにやるんだ 」 という人がいて、「 参加することに意義がある 」 というのは、キレイ事だと決め付けることがある。
たしかに、負けるつもりで競技する者はいないし、出場する以上は、競技者も、それを応援する者も、勝利を願うのは当然である。
だが、勝てそうな競技にだけエントリーして、苦手な種目への挑戦を避けることが、はたしてスポーツの真髄といえるだろうか。
圧倒的に不利で、勝てる見込みが少ない競技であっても果敢に挑戦して、世界の壁に立ち向かうことの意義は大きい。
彼らの多くは、「 自分は勝てないとしても、『 この挑戦 』 が将来への布石となり、いつの日か頂点を極める後進が現れる 」 ことに夢を託している。
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