未来のことなど、誰にもわからない。
偶発的な出来事の積み重ねにより、歴史は姿を変えていく。
終戦記念日に、様々な人々の思いが去来する。
よく、「 日本は、あの戦争に負けてよかったんだ 」 という人もいる。
たしかに、その後の経済成長や、今日に至る平和な社会を鑑みれば、軍部が解体され、ひたすらに平穏と豊かさを求める時代への掛け橋とはなった。
私自身も長い間、「 戦争に負けて、外交に勝った 」 二十世紀後半の日本について、「 敗戦 」 を一つのターニングポイントだと認識してきた。
しかし、本当にそうだと言い切れるだろうか。
昨今、イラク戦争への反撥が強まる中、アメリカの評判を悪く言う人も多いが、今日の日本の繁栄は、「 アメリカの恩恵 」 に依るところが大きい。
経済の発展も、安全保障の面でも、彼らの庇護の下に成立してきた。
それは過去において、あるいは現在でも 「 対等 」 の立場ではなく、屈辱的な 「 傀儡 」 という関係にあったが、感謝すべき事実である。
度重なる空襲と、人類史上最悪の 「 核 」 による攻撃を加えたのもアメリカだが、彼らは 「 敗戦国日本 」 に対し、慈悲深く援助を施した。
憲法改正について、「 アメリカの言いなりになるな 」 などと擁護論を展開する者も多いが、その憲法自体、アメリカによって創られ、与えられたものだ。
お年寄りの中には、「 昔の日本はよかった 」 と語る人も多いが、あまり 「 戦時中はよかった 」 という声は聞かない。
つまり、彼らの指す 「 昔 」 とは、太平洋戦争以前か、あるいは以後の短い期間のことであり、戦争中は一つの 「 空白 」 になっている。
近代の日本史は、多くの国民にとって満足度の高かった時代から、暗黒の戦争へと進み、そしてまた幸福な時代を経て、現在に至ったともいえよう。
戦前の日本を、天皇を旗印に掲げる 「 軍部による独裁国家 」 だと認識している人も多いが、実際のところは、そういう状況でもなかったようだ。
諸国との交流は、明治維新から続く近代化を発展させ、( 戦争さえなかったら ) さらなる成長と、自由民主主義による繁栄を遂げた可能性が高い。
結果的には、戦争へと進む時代の流れに抗うこともできず、太平洋の中で孤立する 「 悪の枢軸 」 へと変貌していくのだが、元来、そうではなかった。
もし、戦争がなかったら、あるいは、アメリカとの和平が早期に実現するなどして、「 敗戦国 」 の憂き目に遭わなかったら、どうなっていたか。
それは、おそらく 「 現在と同様の社会 」 に進んだように思う。
過剰すぎる軍備は削減され、経済の発展に主眼をおき、最大の同盟国に 「 アメリカ 」 を選んだことが、容易に想像できる。
もともと、「 自由民主主義 」 が建前であり、当時の複雑な利害関係さえなければ、アメリカと日本は、互いに相容れられる関係にあったはずだ。
つまり、今日の日本があるのは、「 戦争に負けたおかげ 」 というよりは、「 戦争には負けたけれど、アメリカに占領された 」 幸運が大きい。
もしも、当時のソ連に占領されていれば、今日の発展はなく、南北に分かれて 「 分割統治 」 されていれば、朝鮮半島と同じ憂き目に遭っただろう。
そういう意味では、戦争に勝っても、負けても、日本は 「 あるべき姿 」 へと落ち着いたであろうし、全体的なポジションは変わらなかったように思う。
多少違っていただろうと思えることは、「 アメリカとの力関係 」 であるとか、アジアでの主導的立場、発言権などの点ぐらいではないだろうか。
中国、韓国は、日本人以上にその現実を理解しており、「 戦争で負けたくせに、巧くやりやがって 」 という妬みと、羨望が、今も続いているのだろう。
日本は敗戦によって、「 有形、無形 」 の損害を被った。
戦死者はもとより、私財や、重要な歴史的建造物、文化財を焼失した。
領土については、戦争中に侵略した部分はやむを得ないとしても、戦前から保有していた北方領土などを、理不尽な形で奪われてしまった。
さらに、敗戦が日本人から奪い去った最大の財産は、「 自尊心 」 である。
鷹揚な態度を改め、諸外国との折衝において 「 腰の低さ 」 を身に付けたことは進歩ともいえるが、敗戦の後遺症から立ち直れない痛手が残った。
靖国参拝、教科書問題、国防体制など、どれをとっても、これからの新しい日本人が、自尊心に負い目を感じる 「 負の遺産 」 は計り知れない。
歴史を鑑みると、そのような 「 負の遺産 」 は、時間の経過とともに、自然と薄れていくものだが、それを阻害する動きが内外に多すぎる。
首相が靖国神社へ参拝すると、諸外国だけではなく、国内からも反撥の声があがり、歴史認識の名のもとに、傷は癒えるどころか深まるばかりだ。
日本人が、「 日本人であることを誇りに感じる 」 という考え方は、徹底的に否定され、やましさと、負い目を感じることを、各所で要求される。
日本人でありながら、「 日本人は馬鹿だ 」、「 日本は駄目だ 」 などといった発言を平気でする者が巷に溢れ、悪意の洗脳は留まることを知らない。
戦争というのは、勝敗に関わらず、やらないほうがよい。
しかしながら、好むと好まざるに関わらず、戦争の波に巻き込まれる可能性は、いつの時代でも、どこの国においても、あり得る話なのだ。
戦争に負けるリスクというものは、想像以上に大きく、「 負けてよかった 」 などという論理は、妄想にすぎないように思う。
子供の頃からずっと、日本の現在の繁栄を思えば、「 負けたからといって、どうってことはない 」 という気持ちが、心のどこかに存在した。
だが、それは間違いで、実際には、どんなに着飾って、贅沢な暮らしをしていても、日本人は 「 敗者の汚名 」 を背負わされてきたのである。
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