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2004年07月29日(木) 尊敬されるということ


人が集まると組織ができるが、組織もまた 「 人をつくる 」 ことがある。

似たような企業でも、「 社風の違い 」 が、一瞬で明暗を分けることもある。


日経ビジネス最新号は、「 尊敬される会社=CSRベストランキング100 」 を、特集記事として取り上げている。

これによると、1位はキャノン、2位がトヨタ自動車となっているが、別の海外メディアによる調査でも、両者は世界のCSRランクで上位に入っていた。

CSR ( Corporate Social Responsibility ) とは、企業の社会的責任を意味するが、ただ単に、慈善的な意味合いだけでは評価されない。

企業として、「 ビジネスの発展 」 と 「 社会・環境への配慮 」 の両立を目指し、高い収益性と、優れた社会貢献活動を実現しなければならないのだ。

儲けるだけではダメだが、「 儲かってないと、何も出来ない 」 のも事実であり、これからの企業に求められる姿を評価する最大の指標となっている。


個人も企業も、「 尊敬される、尊敬に値する 」 という概念を失うと、誤った方向に失速してしまう危険が大きい。

世の中には、「 自分さえよければいい 」 という考え方で成功している人や、会社があるかもしれないけれど、それは一時的なもので長続きはしない。

最近では、三菱自動車や、大手食品業界の一部による不祥事が、消費者の信頼を失墜させ、企業の存続を危ういものとした。

大手銀行の破綻や、吸収、合併というドタバタ劇も、市場経済の混乱も省みず、自分たちだけが 「 オイシイ思い 」 をしようとした末路だ。

政府の責任も無いとは言えないが、今日、経済を悪くした 「 諸悪の根源 」 は銀行にあり、その源を辿ると、彼らの 「 傲慢な自分勝手 」 に行き着く。


大手の企業が、その 「 尊敬度 」 ともいえるCSRに重きをおきだしたことは、狂い始めた社会の潮流に変革を求める兆しかもしれない。

子供が生まれたとき、大半の親は 「 将来、立派な人間になってほしい 」 と願い、一生懸命に働き、教育を受けさせ、育てていく。

その過程で習得した教養も、健康な肉体も、親や社会の協力があればこその賜物なのだが、その恩義を忘れ、歪んでしまう人間があまりにも多い。

その結果、「 自分さえよければいい 」 とか、「 自分は常に正しく、悪いことはすべて他人のせい 」 と考える輩が、おのずと増えていく。

人一倍エリート意識だけは高く、少しの躓きや、疎外感から、「 社会が悪い 」、「 国が悪い 」、「 家族の愛情が足りない 」 と、不平ばかり漏らす。


私は、いまは亡き両親に対して、「 自分が幸せになり、周囲の者も幸せにする 」 努力を怠らないことを、最大の親孝行だと考えている。

そのためには、「 尊敬される 」 まではいかなくとも、「 周囲に認められる 」 生き方を目指すことが必要だと思うし、そう心がけているつもりだ。

幸い、おかげさまで過去に大きな失敗もないし、他人を犠牲にしたり、踏み台にした遺恨もなく、無事に毎日を過ごしている。

けして金持ちではないが、大勢の旧友と安い酒を飲み、愚痴や悪口よりも、楽しい旅行の計画などを話し合う機会のほうが多い。

多額の寄付などできないが、自分も楽しめるスポーツ大会の催しなどで、軽い障害を持つ子供たちのアテンドをして、多少は社会貢献もできている。


現代人の多くは、「 オン 」 と 「 オフ 」 の切り替えが下手である。

外資系企業に長く勤めた私は、ビジネスの場面では 「 努力よりも結果 」 という概念を通してきた。

しかし、私生活では 「 お金 」 や 「 地位 」 や 「 モノ 」 などという結果よりも、生きてきた道のりに幸せを求めるようにしている。

いまの世の中は、誰かが 「 実績主義 」 を叫ぶと、仕事を離れた生活でも、財産にこだわり、私利、私欲ばかりが先行して、殺伐とした空気になる。

結果を求めるのも悪いことではないが、「 なりふりかまわず 」 ではなくて、そこには他人への配慮や、生き方の美学というものがなければ虚しい。


他人から尊敬される、一目おかれるように生きるというのは、単純にいえば 「 誇りを持って生きる 」 ということである。

その誇りも、他人への感謝を忘れ 「 自分はエリートなんだ 」 というような、マヌケな勘違いであってはならない。

先日もあるサイトで 「 自殺する者は、教養が高い 」 というような馬鹿げた統計を提示しているところがあったが、思い違いもはなはだしい。

管理人が自身の教養の高さと、自殺企図する性格を美化し、正当化しようとしているのだろうが、「 いったい、なんのための教養だ 」 と問いたい。

親が頑張って、教養と、健康な肉体を与えたのに、両方とも無駄にしようとする輩には、誇りのかけらもなく、社会に物申す資格など微塵もない。


誰だって不遇な時期もあるし、すべてがうまくはいかないものだ。

だからこそ、成功しているときも他人や周囲への感謝を忘れず、不遇な者には手を差し伸べることが重要であろう。

自分勝手な生き方でポジションを得た者は、中年以降、いざ自分が落ち目になると、誰も助けてくれないと失望し、現実から逃避しようとする。

そして 「 人間のクズ 」 ともいえる自殺者が増えていくのだが、そうならないようにするためにも、これからは 「 個人にもCSR 」 の考えが必要だ。

そしてなにより、他人からの評価よりも、「 自分に恥じない生き方 」 を選ぶことが大事で、それが 「 誇り高く、力強く生きる 」 ことに通じる。






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