物の見方というのは、視点を変えると異なることが多い。
感情に流されず、あらゆる角度から検証しないと、判断を誤りやすい。
拉致被害者の曽我さんが家族との再会を果たし、一家が来日した。
曽我さんが、北朝鮮の非道な国家犯罪に巻き込まれた被害者である事実は疑いようもなく、政府は惜しみなく援助の手を差し伸べるべきだろう。
失った歳月を取り戻すことなど不可能だが、不幸な境遇に置かれた半生を、これからの平和で幸福な日々により、少しでも埋められることを願う。
夫のジェンキンス氏は、体調を崩されているようで、しばらくは医療機関において治療を受けることになるらしい。
曽我さんと娘さんたちも、たえず付き添っているとのことだが、一家が再会するまでに要した時間や、不安だった状況を鑑みれば、無理もない話だ。
ご承知のように、彼らにはまだ 「 課題 」 が残っている。
ジェンキンス氏は、朝鮮戦争当時に米軍から離反し、いわゆる 「 脱走兵 」 となったばかりか、北朝鮮に亡命した経緯をもつ。
古い話だし、当時の状況を明確に記す証拠もないが、ジェンキンス氏自身が否定していないところをみると、どうやら事実のようである。
米軍に造反し、さらに北朝鮮で反米を煽る宣伝映画に出演したり、英語を教えるなどした行為は、アメリカ側からみれば、けして軽い罪ではない。
彼に対する処遇をどのようにするか、最終的な決定は下されていない。
日本とアメリカの間には 「 犯罪人引渡条約 」 が存在し、通常は犯罪者をかくまったり、身柄の引渡しに応じないわけにはいかない。
たとえば、日本人の犯罪者がアメリカに逃亡した場合など、速やかに身柄を引き渡してもらうことになっており、治安維持のためには必要な制度だ。
日本人の民意は、おそらく心情的に 「 ジェンキンス氏が善いか悪いかには興味なく、曽我さんのために一家を離さないでほしい 」 との思いが強い。
たしかに、曽我さんに 「 これ以上の悲しみを強いる 」 のは酷だし、なんとか穏便に 「 無罪放免 」 としてもらいたい気がする。
仮に有罪であったとしても、古い事件なので 「 時効 」 という判断や、刑の執行を猶予するなど、家族と共に暮らせる措置がとられることを願う。
日・米の友好関係を鑑みれば、これだけ多くの日本人が注目している中で、「 たった一人 」 を大目にみるくらい、なんでもないような気もする。
しかし、問題はそう簡単ではないのだ。
日本と違ってアメリカは、軍隊を持ち、「 今も戦争をやっている 」 国家だ。
戦列を離脱しようと、敵国に寝返ろうと厳罰に処さないなどという前例を認めることは、現在、そして将来にわたり、統率上の大きな問題となる。
そのため、ジェンキンス氏の 「 過去の犯罪 」 については重く考えており、その処遇については慎重にならざるをえない状況にある。
非武装中立を建前としてきた日本人の中には、「 脱走したジェンキンス氏も戦争の被害者 」 だという意識が、根底にあるような気がする。
軍隊を持つ国の、「 脱走兵 」 に対する意識はどのようなものか。
たとえば将来、日本にも軍隊ができ、どこかの国と戦争になったとする。
その戦争で、あなたの大切な人が命を落とし、その原因が 「 敵軍に寝返った仲間が重要な軍事機密を密告したせい 」 だとしたら、どう思うだろうか。
それでも、「 悪いのは戦争自体であって、敵軍に協力した彼も被害者だ 」 と評価し、敵軍が作った反日映画に出演する 「 彼 」 を庇えるだろうか。
戦争が嫌で離反したり、敵軍に捕らえられ捕虜となり、生きるために情報を漏らしたというのなら、いくらか弁解の余地もあるだろう。
しかし、仲間の生死に関わる 「 敵軍への協力 」 を、自ら進んで行ったとなれば、その行為に対して、怒りや憎悪の気持ちを抱く人も多いはずだ。
戦死者も、敵兵に撃たれて命を落とすより、味方の 「 裏切り 」 によって非業の死を遂げるほうが、あるいは無念に思うのではないだろうか。
老い衰え、現役の面影もないジェンキンス氏だが、朝鮮戦争で命を落とした米兵や、その遺族にとっては、けして許される存在ではない。
かつて、ユダヤ人を大量虐殺し、世界中に逃亡したナチスの残党を、いまも追いつづけるユダヤ人組織があるように、憎悪の灯は消えることがない。
もちろん、ジェンキンス氏を極刑にすることを望むわけではない。
ただ、アメリカ人の中にはそういう意識の人も多く、彼が犯した罪が 「 けして軽くはない 」 ということは、頭におく必要があるだろう。
その問題を度外視して、簡単に無罪の決定を下さないアメリカ側を責めたり、強引に交渉を進めるのは、あまりにも横暴で、歴史を知らなすぎる。
曽我さんとの間に子供もでき、仲むつまじく寄り添う姿からは 「 裏切り 」 の影も垣間見えないけれど、彼には 「 消せない過去 」 があるのだ。
おそらく、アメリカ側は寛大な処置を施してくれることと思うが、その背景を知らず 「 当然の結果 」 などと解釈するのは傲慢で、感謝が足りない。
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