2004年06月13日(日) |
偏見ではないでしょう |
またもや更新が遅滞したけれど、体調はすこぶる健康である。
ただ、パソコンの調子が悪いので、どうも日記が書きづらい。
前回の日記に 「 自殺するバカ者 」 のことを書いたが、最近、若手芸能人の一人が、自宅マンションから飛び降りるという事件があった。
事務所では 「 事故 」 と説明しているらしいが、落下地点が建物から離れており、現実には 「 かなり助走をしないと飛べない距離 」 のようだ。
つまりは、自殺未遂ということになるのだろう。
遺書が見当たらないので 「 自殺ではない 」 という見方もあるが、死に至るプロセスは、病気や借金苦のような 「 計画的 」 なものばかりではない。
頭のおかしな人の場合、衝動的に自殺を図ることも珍しくないのだ。
この人の場合も、奇行や、不可解な言動が、以前から目立っていた。
それは、普通のビジネスマンなら敬遠されるけれど、芸能人などの場合は、ひとつの個性として、その人の魅力になっていたりもする。
もちろん、自殺などしなければ、それは個性として尊重されるべきものだ。
しかし、自殺という愚かな行為に至った以上、今後は 「 常軌 」 というものを周囲は求めるだろうし、奇行に眉をひそめる人も多くなるだろう。
いくら自殺が増えたとはいっても、それは忌むべき行為であることに変わりは無い。
差別用語の一つに 「 キチガイ 」 というものがある。
おそらくは、精神的な病気を抱える人の人権を守る意味で、彼らに対する偏見を促すことのないよう、マスコミなどは使わなくなっているのだろう。
だからというわけでもないが、この日記でも 「 キチガイ 」 などという単語は、今までに使ったことがない。
実生活においては、使う場合がある。
ただ、それは 「 精神病患者 」 を総称した使い方ではない。
精神科に通っている人も、日記で 「 キチガイ 」 の文字を使うことがある。
知り合いの看護婦さんも、「 キチガイ 」 を使った会話をする。
たとえば、それは 「 残虐な殺人鬼 」 や、「 幼子に対する虐待 」 など、忌むべき犯行に及んだ者を攻撃する場合などに使われる。
この場合には、それが 「 差別用語 」 とは言えないだろう。
我が子の命を無慈悲に奪った殺人鬼に対し、親が 「 このキチガイめ! 」 と叫んだところで、それが差別発言だなどと叱責する人は皆無である。
つまり、精神が尋常でないことが 「 キチガイ 」 なのではなくて、犯行に及んだことが 「 キチガイ 」 だという解釈で使っているのだ。
誰にも迷惑をかけず、悪影響を及ぼさない場合は 「 ただの病気 」 なのだから、マトモな大人なら、それを茶化したり、嘲笑うことはしないだろう。
ただ、誰かが小学校に侵入し、何の罪も無い児童を無差別に殺傷したら、犯人が精神を病んでいたとしても、「 しょうがないね 」 では済まされない。
その犯人に対し、「 ひとごろし 」 とか、「 キチガイ 」 という言葉を放つのは自然の感情であり、それを責めることなどできないはずである。
私は、「 自殺 」 も一種の 「 殺人 」 だという認識を持っているので、たとえ精神が病んでいても、自殺を図る者は 「 キチガイ 」 だと考える。
こういうことを書くと、すぐに 「 偏見だ 」 と激昂する人もいる。
だが、はたしてそうだろうか。
繰り返し書くが、私は 「 精神病患者 」 を非難しているのではなく、病気の有無に関わらず、「 自殺する者はけしからん 」 と言っているのだ。
自殺は法的にも認められていないのだから、これは偏見ではないし、けして間違った思想、偏った価値観による意見でもないはずだ。
自分の命なんだから、自分が好き勝手に処分してよいなどという屁理屈は、どこの国の法律に照らし合わせても、通用する話ではないのである。
ある病院の関係者に聞くと、「 精神を病んだ者の自殺は、未遂が多い 」 のだそうで、つまりは 「 自殺を図っても、失敗する 」 率が高いらしい。
それは、動機が衝動的なために準備不足であったり、警戒を怠って他人に発見されたりすることが多いためで、言われてみれば納得できる。
過去に自殺を図った人を、すべて 「 キチガイ 」 だとは思わない。
なんとか立ち直って明るく生きようとする人へは応援したいし、その努力は賞賛に値するものだと思う。
ただし、未遂を 「 失敗だ 」 と解釈し、いまだに 「 死にたい 」 などといった戯言を発信し続ける 「 キチガイ 」 には、怒りを禁じ得ないのである。
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