Tonight 今夜の気分
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2004年06月03日(木) 命を粗末にする狂気


ちょいと色々あって、更新を怠ってしまった。

気がつくと暦は6月、梅雨のシーズンに入っている。


日頃、あまり時事問題について触れない人が、「 小学六年生の女児による同級生の殺人 」 について、今日は深刻な顔で饒舌に語っていた。

たしかに忌まわしい事件ではあるが、この一件をもって 「 犯罪の低年齢化 」 だとか、「 教育の荒廃 」 などと象徴化できるものでもないだろう。

遺族の心中は察するにあまりあるが、どちらかといえば 「 防ぎようのない 」 犯罪であり、効果的な安全対策も、予防措置も、ほとんど考えられない。

殺人に至るまでの憎悪があったかどうか定かでないが、カッターナイフ一本で絶命させた事実から、「 運の悪い偶然 」 が重なったことが推察される。

躊躇せず、急所に切りつけるなどという芸当は、殺人兵器として訓練された者でなければ、ましてや、小学生の児童に行える行為ではないはずだ。


新聞やテレビの報道によると、ネット上でのやりとりが動機の発端になったように伝わっているが、それも、事件の再発を防ぐ手助けにはならない。

不快な書き込みに立腹した経験者が皆、殺人に及ぶわけではないし、僅か一握りの狂気によって、情報通信の進化を妨げるわけにもいかない。

報道では、事件が起きた佐世保市の市教委は、各小学校にホームページを作成するソフトを配備していたことも、事実として取りざたされている。

最近の学校教育には不満が多いけれど、今回に限っては、それを市教委の 「 落ち度 」 とは思わないし、時代を鑑みれば妥当な措置と判断できる。

メディアに触発されるかどうかは、それこそ 「 自己責任 」 の問題であって、アクセス権を与えた者や、管理する側の責任を追及するのもおかしい。


個人的な考えかもしれないが、「 狂気 」 というものは誰の心の中にも存在するものではないかと思う。

ただ、大多数の者は 「 理性 」 によって感情をコントロールする能力を備えており、それが表立って行動に現れることがないだけではないだろうか。

つまり、狂気の大小ではなく、理性の強弱が 「 狂人 」 と、そうではない人間の差につながっているように思う。

他人から見れば 「 屁 」 のようなストレスに押し潰され、たいした苦労もしていないのに、平常心を失う病気になった人もいる。

本人からしてみれば、「 自分だけが特別 」 と思っているようだが、それは 「 特別なストレス 」 ではなく、「 特別な弱さ 」 に起因していることが多い。


最近は、ストレスを原因とする精神的な病気に陥る人が多い。

その原因を、複雑化した社会だとか、先行きの不透明感などとする学者もいるが、はたしてそうなのだろうか。

戦時中、多くの市民が命の危険に侵され、自由を抑制された時代と、この平和な時代を比較して、それでも現在の暮らしのほうが不安なのか。

私は、現代人の 「 心の弱さ 」 のほうが、問題であるように感じる。

当然、先天的な精神障害者は除くが、仕事や家庭のちょっとしたストレスに負けて病気になる背景には、たえず 「 心の弱さ 」 が潜んでいる。


では、なぜ 「 心の弱い人間 」 が多くなったのか。

人間の性格は、生い立ちと、育ってきた環境によってつくられやすい。

最近の親や教職者は両極端で、虐待に及ぶか、あるいは真逆に過保護であったりすることも多いが、どちらも子供に良い影響は与えないはずだ。

運動会の順位にさえ優劣を認めず、現実から目を逸らさせ「 世の中は公平である 」 という概念を洗脳する教師もいる。

子供の頃から、失敗や欠点、弱点を本人に認めさせ、挫折感と、それに対する克服というものに慣らしていかないと、強い心は鍛錬されないだろう。


本人は否定するが、話を聞いてみると 「 甘やかされて育ってきた結果 」 としか思えないような部分が多いのである。

周囲が同情してくれないとか、家族が慰めてくれないだとか、他人に寄りかかって甘えている発言が目立つ。

その大半は、犯罪にまで至るような性質の狂気ではないが、自己の感情や平常心を抑制できないという意味においては、同じく 「 心の弱さ 」 である。

日本には徴兵制が無いし、体育会系のクラブに属することも強制されないだろうから、「 非論理的な厳しさ 」 に直面しないで育つ者も多い。

そんな 「 甘ったれ 」 が後を絶たず、リストラや降格で自殺を図るために、毎日のように人身事故で電車が遅れ、ダイヤが乱れる。


自殺の善悪について、宗教的な教訓を語る気はないが、本人が思っているほど 「 自分の勝手 」 では済まないことを理解して欲しいと思う。

首を吊ったとしても、線路に身を投げても、海で溺れても、必ずと言っていいほど、その惨たらしく不快な死体は誰かの目に触れる。

また、「 走る電車に飛び込む自殺 」 を目撃した友人の話によると、その姿よりも、「 その瞬間の音 」 が耳にこびりついて、離れないのだという。

せめて死ぬときぐらいは、他人に迷惑を及ぼすべきではない。

そういう 「 周囲に配慮せず、自分が楽な道を選ぶ 」 ところも、心の弱さであり、甘えた考えなのである。


他人に危害を及ぼす狂気と、自殺を図り、命を粗末にする狂気が、片方は 「 犯罪 」 となじられ、片方は 「 現代風な心の病気 」 として処理される。

ネットにおいては、たいていの場合、誰が何を発言しようと自由なのだろうが、どうしても許せないのが、「 自殺志願者 」 のサイトである。

その大半は、「 自分に甘く、他人に厳しい 」 という点で一致しており、自分の命は粗末にするくせに、戦争などの問題では命の尊さを主張する。

世の中には、不治の病で 「 生きたくても、生きられない 」 人が大勢いて、それでも懸命に、命ある限り生きようと努力している人たちがいる。

自殺を図るということは、そういう人たちの人生に唾を吐きかけるのと同じ行為であり、生命を語る資格など、微塵も無いのである。


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